■「YOUは120点だから呼んだんだ」


 勝俣州和らとともに「CHA-CHA」としてデビューした木野さんだったが、バラエティー色の強い仕事を続けるよりも、パフォーマーとしての力を磨きたいとの思いから、90年にジャニーズ事務所を退所してアメリカ・ロサンゼルスへ渡った。現在は、地元の静岡県を拠点にダンスパフォーマー兼振付師として活動している。

 木野さんには人生の分岐点となった出来事がある。ジャニーズ入りする直前の高校生のときだ。

「親に『普通に就職するべきだ』と猛反対されて、ジャニーズ入りを諦めようと思った。でもジャニーさんに『東京の子は80点でも呼べるけど、地方の子は100点でも呼べない。YOUは120点だから呼んだんだ』って言われて。そんなこと言われたら断れないよね(笑)」

 その後も、木野さんがバラエティーでの仕事に悩んでいることを打ち明けると、「僕が見に行くから」といって、ジャニー氏は番組収録に来たこともあったという。

「あの時の言葉がなかったら、まったく違う人生を送っていた。本当に『縁をくれてありがとうございました』と伝えたいですね」

 お別れの会には、かつての木野さんのように、芸能界の第一線で活躍するTOKIOや嵐など後輩たちの姿もあった。

「彼らの存在は誇らしい。僕も彼らに恥じない存在であり続けないとね」

 恩人との別れであり、節目でもある。“ジャニーズチルドレン”の木野さんはパフォーマーとしての精進を誓った。

(AERA dot.編集部/井上啓太)