「23歳で息子さんを出産後、半年間の休業後ランウェイに復帰しました。周りの協力を仰ぎつつも、お子さんを抱えながら世界中を飛び回る生活をされたそうです。一流ブランドとの専属契約など、モデルとしての頂点を極めたのち、コレクションを離れましたが、生活の拠点を日本に移してからも、その活躍はめざましいものがありました。タレントとしての需要も増え、テレビやラジオ、イベント出演など記憶がないほどの多忙を極め、ついには体調を崩してしまったといいます」(同)

■息子から言われた衝撃のひと言

 2008年に離婚シングルマザーとして仕事と子育てを両立していた冨永。ときには大黒柱の父親役も担わなくてはならず、生活費や教育費を稼ぐことに不安を抱えていたと前述の著書に記している。そして、忙しすぎる生活で悲鳴を上げていたのは自身の体だけではなかった。最愛の息子から「ぼく、生まれてこなきゃ、よかった」とショッキングな言葉を投げつけられたことも同著で明かしている。

「冨永さんが2014年から約3年休業をしていたのですが、その最大の理由はお子さんのため。多忙で息子さんと触れ合う時間がなかなかとれず、彼の考えていることがわからないと思う瞬間が増えてしまったそうです。そんなお子さんとの時間を取り戻すために休業という決断をし、たわいもない日常を大切に過ごしたり、旅行に出かけたり、小学校のPTA役員を務めたりもしたといいます。中学生になってから『そろそろ仕事したら?』と息子さんから提案を受けて仕事に復帰されたというエピソードからは、3年間いかに充実した日々を過ごされたのかが伺えます。こうした彼女の生き方に共感している若いママたちも多いと思います。世界を飛び回るトップモデルでいながら、ごく普通の母としての感覚も持ち合わせている。お茶の間から共感を得られる理由はそこにあるのでは」(同)

 美しさだけでなく、ネガティブとも思える内容も包み隠さず話してくれる冨永のスタイルは多くの女性からの支持も高い。TVウォッチャーの中村裕一氏は、冨永愛の魅力についてこのように分析する。

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無人島でサバイバルも