大塚:僕は流れが変わったなと思っています。一時期、マスコミが医療不信をあおるような報道をしてきました。有名なのは、帝王切開手術を受けた女性が死亡したことで、執刀医が2006年に逮捕された大野病院事件。それを皮切りに、医者が、回避できないリスクについてまで責任を追及されることが増えていったんです。

 僕らも書類仕事がすごく増えました。でも人手が増えるわけでもなく、患者さんと向き合う時間が減っていった。ある時、「こんなことをしていたら医者はまともに働けない」「そんなに医者をたたくんなら医者をやめる」と、勇気を出して発言する医者が出てきた。流れとしては、そういう声が今に至るまで増えていることは確かなんですよ。

幡野:マスコミが医療問題をたたくときの過剰反応が、安楽死の議論が進まない理由でもあると思うんです。今年、公立福生病院で、患者と相談した結果、医師が人工透析をやめたということが報道されました。議論が巻き起こったわけですが、僕は、患者本人の苦しみたくないという要望に対して医者が応えたわけですから、尊厳死として正しいと思ったんです。

 問題という問題にはならなかったけれど、医者がこの件で公立福生病院のことを批判しているのを見ました。再発防止のためなのかわかりませんが、医者だけが内輪で批判を続けている。医者が医者の首を絞めるのはいかがなものかなと思いましたね。この批判を認めると、医者は延命一択で、患者が延命を拒否しても無視しなければならないということになってしまう。

大塚:僕はあの報道を見て、患者さんの心の揺らぎが可視化されていないと思ったんです。仮に患者さんが「治療をあきらめます」と診察室で言ったとして、それは一切の揺らぎのない決断なのかといったら、そんなことはないはずです。

 おそらく今回の透析に関しても、患者さんは当然のこと、医者も気持ちの揺らぎはあって、「本当にこれでいいんだろうか」とか葛藤があったはずなんですよ。その葛藤の場面がまったく外に見えていない。

 僕は『心にしみる皮膚の話』でも繰り返し自分の葛藤についてのエピソードを書いていますが、人の気持ちは状況によって変わっていくものです。その変わっていく過程を言語化して、人間は戸惑っていくんだというのを伝えていかなくてはならない。最終的にはホスピスを選んだとか、こういう治療を選んだとか、いろいろありますが、当然そこに至るまでには悩みがあったというのを言葉で伝えたいというのが、僕の一つの目的なんです。

幡野:やっぱり言葉にしないとわからないですよね。公立福生病院の件も、たぶん医者と患者の間で何度もディスカッションがあったと思うんですよ。だからこそ透析中止という重い決断をしたのだと思うし、医者も経験を重ねた年齢の方でした。

 なのに、マスコミの報道を見ただけの医者が、そこまで想像できるはずなのに、たたいてしまう。想像の回らない一般の方がたたくのはわからなくもないのですが。医者の敵は医者なのではないか、と思いました。

◯大塚篤司(おおつか・あつし)
京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医。がん治療認定医。AERAdot.での連載をまとめた『「この中にお医者さんいますか?」に皮膚科医が……心にしみる皮膚の話』が8月20日に発売。

○幡野広志(はたの・ひろし)
写真家。2017年に多発性骨髄腫を発病し、余命宣告を受ける。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(ポプラ社)などがある。

(構成/白石 圭)