大塚:僕は反対していますが、がんを放置すればいいと主張している人もいます。そういうのが、「医学的に正しい医療」で助からなかった人の受け皿になってしまうこともある。

幡野:耳に心地がいいですよね。心の安定という意味では、確かに役立っているんだろうけど……でも、そういう人って結局は標準治療に戻ってきませんか?

大塚:そういう人を何人か見たことがあります。ただ、ニセ医学から標準治療に戻ってきたとはいえ、本人は以前やっていた治療のことを否定したくないという気持ちがあるようなんです。おそらく、過去の自分の選択が間違っていたと認めることになってしまうからだと思います。いまから新しく治療をスタートするというのを前向きにとらえられない人もいますね。

幡野:僕も標準治療に戻ってきた人を見たことがあります。僕は1年半ぐらい前に自分ががんになったということを公表しましたが、その時とんでもない数のニセ医学の勧誘が来ました。そこで最初、「私は無農薬の野菜を食べています。そのかわり、抗がん剤や放射線治療はやりません」という人と少しだけやりとりをしたことがありました。

 ところが最近、その方からまた連絡がきたんです。今は標準治療をやっているそうなのですが、状態がよくなるということはやっぱりないと言っていました。最初に医療不信さえなければよかったのかなとも思ってしまいます。

■標準治療の限界、把握しない医者も

幡野:1年ぐらい前に友人ががんで亡くなりました。まだ若い女性だったのですが、再発のがんでした。本人はそんなに望んだわけではなかったのですが、抗がん剤治療をして、髪の毛が全部抜けてしまいました。その半年ぐらい後に彼女は亡くなるのですが、亡くなる直前に「どうせ死ぬなら、髪の毛まで失いたくなかった」と医師に言ったんです。ずっと言いたかったのに我慢しつづけていた一言だったそうです。そうしたら、医師は笑いながら「そうだよね」と言ったそうです。

 それを聞いたときに、医者と患者は二人三脚が全然できていないと思いました。そして何より問題なのは、その話を聞いた僕や家族が、医療不信のベースをつくってしまうことだと思うんですよ。

 患者が残す言葉って影響が大きい。緩和ケアを嫌がる人って、もしかしたら自分の親が苦しんで死んでいる姿を見ていたから嫌がっているのかもしれないと思うことがあります。でもそれは20~30年前の、今よりも医療技術が低かったときの話なわけですよ。それが医療不信のベースになってしまっている。そのため緩和ケアを嫌がり、そして緩和ケアを嫌がる親の姿を見た子が医療不信のベースをつくる。悪循環だと思うんですよね。

大塚:医師が標準治療の限界を意識しているかいないか、という問題も関連していると思います。医療は当然ですが、完ぺきではない。治らない病気があるのも事実です。標準治療ですべてがカバーできるかというと、そんなことはありません。エビデンス(科学的根拠)がないこともたくさんあって、その中で最良のものを模索していかなければならない。

 僕らは医療という水槽の真ん中にいる人間で、中から見ると、水槽の中も、水槽の外も、水で満たされているように見えるんです。境界がわからない。標準治療ですべてを満たすことができるように見えている。でも患者さんは水槽の外にいるので、水は水槽の中しか満たしていないということが見えている。標準治療の限界がなんとなく見えている。僕ら医者のなかでも、その限界を認識している医者としていない医者がいる。標準治療ですべての人を助けられるのだと思い込んでいる医者もいるんですよね。

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「結局は患者と医者の相性が重要なんです」(幡野)