「あずさ」は1972(昭和47)年3月の3往復から、同年10月に6往復(うち1往復は甲府発着)、翌73年10月には10往復と急速に増えていった。そんな中、国鉄は1972年10月に「エル特急」制度を導入する。発車時分がわかりやすい時間で揃い、運転本数が等間隔で多く、自由席を連結する特急を「エル特急」に指定したのである。

「あずさ」は1期にはなれなかったが、導入翌年の1973(昭和48)年10月改正で、エル特急に指定された。また、この1973年10月改正から183系0番代が投入され、1975(昭和50)年には「あさま」と共通運用の189系を投入したことで、181系が「あずさ」から離脱した。

 エル特急に指定され、より身近な存在になった「あずさ」。利用者数も増えるなか、1977(昭和52)年春に狩人の歌う「あずさ2号」が大ヒットする。中央本線の一特急に過ぎなかった「あずさ」は、これにより誰もが知る特急へと知名度を一気に高めたのであった。歌詞に登場するのは新宿発の「あずさ2号」だが、当時の愛称名の呼称は上下とも1号、2号と数えられており、「あずさ2号」には松本発もあった。

 しかしこの呼称方法は、翌78年10月2日のダイヤ改正で「下りは奇数、上りは偶数」と、新幹線で採用されていた愛称号数と同じ付け方に改められることになった。これにより、8時ちょうど発の下り「あずさ」は3号に。2号は上りの番号となり、以降は歌詞にあるような「下りの2号」は時間帯を問わず存在しないこととなる。楽曲の大ヒットから、わずか1年半での出来事であった。

 1983(昭和58)年7月、中央本線に岡谷~塩尻間をみどり湖経由で結ぶ、いわゆる塩嶺ルートが開通し、所要時間が短縮された。

 この頃から「あずさ」は中央高速の高速バスと厳しい戦いを強いられることになる。また、急行の特急格上げが進み、中央東線の名門急行「アルプス」は特急に格上げされて「あずさ」は増発されていく。その結果、1986(昭和61)年11月ダイヤ改正で8時ちょうどの「あずさ」は5号となった。行き先は松本だが、臨時で大糸線の白馬まで運転されることもあった。

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なにかと「初めて」な特急列車