阪神のピアース・ジョンソン (c)朝日新聞社
阪神のピアース・ジョンソン (c)朝日新聞社

 今年、12球団トップクラスの投手成績を誇る阪神。それを支えるのがブルペン、とくに8回を任されるセットアッパー、ピアース・ジョンソン(PJ)だ。

「チームにとって、非常に重要なポストを与えてもらっている。これまで自分自身、メジャーリーグでも通用する自信はあった。でも結果が出なかったり、マイナーとの行き来が多かった。気持ち的に多少、揺れる時期もあった。でも現在はチームから信頼してもらえている。その中で最高のパフォーマンスを出すことが、僕に与えられた使命だと思っている」

 コロラド州デンバー出身。2009年MLBドラフト15巡目(全体469位)でタンパベイ・レイズから指名されるもミズーリ大学進学。その後12年にドラフト1巡目(全体43位)でシカゴ・カブスから指名されプロ入りした。

「レイズから指名された時は考えた。でもまだ若かったし、肉体、技術、メンタルなどすべてにおいてレベルアップしなくてはいけないと思った。当時からプロでやりたいという気持ちはあったので、将来的に考えて一番良いと思える道を考えた。まずは自分自身がプロで通用するレベルになることが大事だと思った。おかげで大学時代は目標を定めて、毎日を過ごすこともできた。貴重な時間だった思う」

 カブス時代はマイナーで経験を積みながらメジャー昇格を目指したが、なかなかチャンスに恵まれなかった。17年5月にメジャーデビュー果たし、同年9月にサンフランシスコ・ジャイアンツ移籍。18年は開幕ロースター入りするも、メジャーとマイナーを行き来することが多く、シーズンオフにFAで阪神入りが決める。

「環境を変えたいという気持ちはあった。自分の球は通用するという気持ちはあったけど、メジャーではうまくいかないことも多かった。何かを変えるきっかけを探していた。そこで阪神という選択肢が出てきた。もともとチャレンジするのは好きなタイプ。いろいろな人に相談しながらも、思い切って日本へ行ってみようと思った」

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日本への移籍は伝説的助っ人に相談