センバツに続いての夢の舞台。西川はまさしく躍動していた。

 1回戦・霞ヶ浦戦。7番に座った西川は、5回に本塁打を放つなど5打数3安打。準々決勝の関東一戦でも、3点を先制されながら1点差に追い上げた5回、5番・内倉一冴の同点打に続き、6番の西川が勝ち越しの中犠飛を放ち、勝利を決定づけた。

 準決勝の明石商戦。最速151キロの2年生右腕・中森俊介の立ち上がりを攻め、1回に2点を奪った直後の1死二、三塁から、西川が左前へ2点タイムリー。この「4点」で試合を優位に進め、難敵相手に7-1と圧勝した。

 決勝戦の相手は、春のセンバツ初戦で3安打完封負けを喫した星稜・奥川恭伸。西川もセンバツで奥川の前に3打数ノーヒット、2三振だった。

「準備はしてきました。リベンジしたいですね」

 春、歯が立たなかった奥川を相手に1点を追う3回、4番・井上広大がバックスクリーン左へ逆転の3ラン。しかし7回、星稜に2点差を追いつかれた。

 直後の8回だった。先頭の内倉一冴が右中間突破の二塁打で出塁。ここで打席に立った西川が、冷静に送りバントを決めた。この1死三塁から、主将の野口海音が決勝の中前タイムリー。「一番大事な場面。最後に決められてよかったです」という西川の犠打が、日本一への“おぜん立て”となったのだ。

 歓喜の瞬間が、やって来た。マウンド上で仲間たちが右手を突き上げていた。レフトからは、ちょっと距離がある。

 背番号「7」がその輪の中に飛び込んだのは、一番最後だった。

 甲子園に行く。日本一になる。

 大人たちは達成できなかったときの“リスク”を強調してしまう。努力のプロセスではなく、志半ばで終わってしまうというマイナスの未来を描きがちになってしまう。ましてや、他の高校生たちもうらやむような「進学校」にいたのだ。

 それでも西川は自分の描いた「夢と未来」を信じ、その道を貫いてきた。

「やってきたことが、間違いじゃなかったんだなと。つらいことも多かったけど、やってきたことが報われました」

 この「達成感」を味わえる者も数少ないということを、大人たちは知っている。取材をしながら久々に「羨ましい」と思った、この夏の出会いだった。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。阪神、近鉄、オリックス中日ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知の球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。2017年7月からスポーツライターとして活動。2019年8月21日に、高校不登校・中退から単身渡米、イチローよりも先に「日本人初の野手メジャーリーガー」になりかけた根鈴雄次氏の半生を描いたノンフィクション「不登校からメジャーへ イチローを超えかけた男」(光文社新書)出版。