神大付側も西川の意向を受けて、松平部長にこう伝えたという。

「本来なら、高校に上がってもらいたい生徒さんです。でも、本人のたっての希望ということなので、学校も応援したいと思います」

 西川は「甲子園」という夢を追い求めるために、自らの信念で“転校”したのだ。

 この夏、記録員として甲子園のベンチ入りをしている曽場大雅は、西川のキャリアを聞いたとき「びっくりしましたよ」という。

「国立の中学校でしょ? 神戸大の付属でしょ? 僕らからしたら、もう、ちょっと違う感じでした。なんで? って。頭もいいですよ、成績、すごく優秀ですから」

 履正社は寮制度ではないため、西川も自宅からの通学だ。野球と勉強の両立は決して簡単ではない。それでも「勉強、よくできますね」と松平部長。1年生のとき、10教科の評価は「オール5」。2年生で「1個だけ『4』がありました」。なので、評定平均値にすると「4・9」。3年生の1学期も「オール5でした」。「勉強、あんまり好きじゃないんです」というのが謙遜にしか聞こえない。

「学力もある、理解力もある。これから大学、社会人として続けていく中で、必要なことでしょうから」と松平部長。西川はレギュラーでありながら「プレーイング・マネジャー」という役職が与えられている。それは「兼任監督」ではなく、文字通り、選手でありながらマネジャー業務も行うのだ。

 朝の点呼、練習の出欠の確認、道具の点検、さらには練習試合での審判の控室を準備したりと、まさしく、他校ならマネジャーが専任でやるようなことを西川はプレーヤーでありながらそうした種々の雑務を並行してこなしているのだ。

「不調のときとか、自分のしたい準備もあるんですけど、その時間が取れない。それが一番大変でした」

 そう語る西川に、マネジャー業から“得たこと”もあえて聞いてみた。

「状況を一歩引いて見られるようになりました。それは、投手との兼ね合いで守備位置を変えてみたりとか、そういうことができるようになりました。2年生のときまでは、自分の技術向上ばかりを考えていましたけど、任せてくださったというのは、誰にでもできる役職じゃない。光栄に思いましたし、やるからには両立したいですから」

 自分を、客観視して眺める。目的に向かって、今、自分は何をすべきか。その“冷静な思考と目”を持てば、やるべきことは、おのずと見えてくる。

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間違いじゃなかったと確信した夏