さて、香山さんの場合は大人になってからできたタイプのメラノーマでした。本人は気になりながらも病院を受診するのが怖く、放置していたとのことでした。

 私はできる限り香山さんの心配を取り除いてあげようと思いました。検査結果が出て異常がなければすぐに「大丈夫でしたよ」と伝えに行きました。手術が終わった後には、手術がうまくいったことも急いで伝えました。私の言葉に香山さんは安心した様子でした。私は、香山さんに不安を与えたくありませんでした。

 CT検査で香山さんの肝臓に多発転移が見つかったのは、私が「脳は大丈夫でしたよ」と伝えた次の日のことでした。

「なんて伝えようか」、私は動揺していました。

 その頃、メラノーマの治療は現在ほど選択肢があるわけではなく、効果の乏しい抗がん剤を使うしかありませんでした。香山さんの場合は肝臓への多発転移。がんばって治療しても完治する可能性はない。

「先生、今日の検査結果どうでした?」

 病室で香山さんに聞かれた私は、

「もう少し検査結果がそろってからまとめてお話ししますね」

 と返事をするのが精いっぱいでした。

 すべての検査が終了し、私たち医療チームが下した香山さんのがんの進行度はステージ4。わずかな可能性にかけて抗がん剤を試すしかない。20代の若者をなんとしても助けたい。みんながそういう思いを共有していました。

「CT検査の結果、肝臓に転移が見つかりました。来週から抗がん剤治療を開始しましょう」

 私たち医師の言葉に、

「わかってました。ある日突然、先生が検査結果を教えてくれなくなったときに僕は気がつきました」

 と、香山さんは答えました。

 香山さんの悲しい表情を見ながら、安易に検査結果を伝えていた自分の行動を恥じました。結局、私は香山さんの不安を増幅させ、そして、必要以上に落ち込ませてしまったのです。

「こちらも一生懸命に治療します。いったん、退院して来週から抗がん剤治療を行います」

 私は力強く、彼を心配させないように言って見送りました。

 それから香山さんは二度と私の前に現れることはありませんでした。

 入院のキャンセルは、香山さんのお母さまからのお手紙で知りました。

「先生には手術をはじめ大変お世話になりました。ありがとうございました。私は決めました。息子に抗がん剤治療をさせません」

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