急造左腕がワンポイントならぬ3ポイントリリーフのマウンドに立ったのが、04年の1回戦、富山商vs佐賀学園だ。

 富山商はエース左腕・永野達也が県大会前に肩を痛め、甲子園で登板できそうにない状態だった。

 初戦の相手は佐賀学園。県大会で打率5割をマークし、通算27本塁打の左打者・堤喜昭をいかにして封じるかがカギだった。

 永野が計算できない以上、“堤封じ”のできる左腕が必要と考えた沢田利浩監督はあれこれ策を練った末、左投げの一塁手・二瀬基之を対堤用のワンポイントとして使うことにした。かくして、県大会で1試合も投げていない二瀬は、試合の3日前から投球練習を始めた。

 先発は背番号15の2年生右腕・滝隆浩。1回2死二塁で4番・堤に打席が回ってくると、二瀬がマウンドに上がり、滝はファーストへ。堤を四球で歩かせると、再び滝がマウンドに戻り、ピンチを切り抜けた。

 4回、先頭打者で堤を迎えると、再び二瀬がワンポイント登板。内野安打を許したが、再登板した滝が暴投による1失点だけに抑えた。

 さらに6回表無死一塁で堤が3度目の打席に立つと、三たび二瀬がマウンドへ。結果は四球。直後、滝は2点タイムリー二塁打を浴びてしまう。

 計3度にわたるワンポイントの奇策も、すべて堤を出塁させてしまい、2度まで失点に結びついたとあっては、失敗と思われたが、沢田監督は「四球もシングル(ヒット)もいい。打線全体を乗せるので、堤君には長打は打たれたくなかった」という条件付き“成功”にしてやったりの表情。

 結局、佐賀学園は6回まで3得点とたたみかけられず、大量10点を挙げた富山商が余裕で逃げ切った。3ポイント作戦で「逆に打ってやる」と力んだ堤は、5点を追う9回は二瀬がマウンドに上がらなかったにもかかわらず、中飛で最後の打者に。急造投手も時には使いようということか?

 エースが発熱でダウンしたため、急造投手が6回から4イニングを投げ抜き、逃げ切りに成功したのが、76年の崇徳だ。

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「投手の苦しみがやっとわかった」