山田の全盛期はスピードガンのない時代で実際の球速は不明だが、晩年になって「スピードがなくなった」と言われ、緩急を使った投球に変身した時期でも球速130キロ台を計測。20代の頃は140キロ台後半だったと予測され、当時の打者たちは「150キロは出ていた」、「山田のストレートが一番速く感じた」と証言する。少なくとも過去最速のサブマリン投手であったことは間違いないだろう。

 それに匹敵するスピードを誇ったであろう投手が、杉浦忠である。立教大2年時にアンダースローに転向し、南海に入団した1958年に新人王、翌59年に投手5冠に輝いた稀代のサブマリン。バッテリーを組んだ野村克也は「日本プロ野球界で数少ない本格派のエース」と称し、張本勲はアンダースロー投手の中で最もボールに威力があったと証言している。山田と同じくスピードガンのない時代だったが、地面から浮き上がるストレートは山田と同じく150キロ近いスピードを誇っていたと言われる。

 そこに挑むのが、高橋である。大学時代の最速は141キロで、昨年の日本シリーズ第1戦での登板時に146キロを計測。レギュラーシーズンでの最速は144キロだが、23歳という年齢、さらに前述した渡辺、牧田、山田、杉浦は全て身長170センチ台という中で188センチというサイズは、ポテンシャルの高さでもある。今後のさらなるスピードアップの可能性は十分にある。過去の偉人たちを上回れるか。サブマリン新時代の到来を、我々は目にしている。