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「SLが愛されるワケ」 復活から40周年のSLやまぐち号、その歴史をひも解く

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松原一己dot.
1979年8月1日、「SLやまぐち号」の国鉄小郡駅(現・新山口)での出発式 (C)朝日新聞社

1979年8月1日、「SLやまぐち号」の国鉄小郡駅(現・新山口)での出発式 (C)朝日新聞社

復活1周年を前に行われた、C57形1号機とC58形1号機の重連運転。1980年6月1日撮影 (C)朝日新聞社

復活1周年を前に行われた、C57形1号機とC58形1号機の重連運転。1980年6月1日撮影 (C)朝日新聞社

復活から20周年目となる「SLやまぐち号」の記念出発式。機関士と車掌に花束が渡された。1999年3月20日撮影 (C)朝日新聞社

復活から20周年目となる「SLやまぐち号」の記念出発式。機関士と車掌に花束が渡された。1999年3月20日撮影 (C)朝日新聞社

2019年8月1日、新山口駅を出発する「SLやまぐち号」の40周年記念列車。けん引するD51形200号機のナンバープレートは、40年前のC57-1と同じく赤く塗られた (C)朝日新聞社

2019年8月1日、新山口駅を出発する「SLやまぐち号」の40周年記念列車。けん引するD51形200号機のナンバープレートは、40年前のC57-1と同じく赤く塗られた (C)朝日新聞社

 なお、このC57-1は落成から今日に至るまで、一度も車籍を失うことなく生き続けてきた。82年の長い機関車人生の中では、1945年(宇都宮機関区所属時代)に空襲で機銃掃射に遭い、1961年には羽越本線で脱線転覆事故を起こして大破し、1995年には定期点検のため入場していた鷹取工場(神戸市須磨区、現廃止)で阪神淡路大震災に遭い、そのたびに大きな損傷を負いながらも復帰している。

 ただでさえ一度も車籍を失っていない車両は希少なのに、これだけ壮絶な車歴を経ている機関車もほかにない。

■「SLやまぐち号」復活決定

 山口線で国鉄のSLが復活することになり、東日本地区での活躍がメインだったC57-1が、西日本地区で活躍を再開することが決まった。それも、縁もゆかりもない地域での活躍となる。山口線がSL復活運転の路線に選定されたのには、いくつかの重要な条件を満たしたことによる。

 一番は「新幹線の利用促進」である。都心からある程度の距離があり、沿線に有名な観光地を抱えていることなどが関係し、山陰の小京都とも呼ばれる津和野を目的地として小郡(現・新山口)で新幹線からの乗り換えを想定できる山口線はまさにうってつけだったのだ。

 そうして62.9km、2時間少々のSLの運行が継続されていくことになった。C57-1は徹底的に整備され、試運転を行っていった。

 1979年8月1日、「SLやまぐち号」は出発式を迎えた。その姿は「京阪100年号」で見られたのと同様のC57-1と12系客車、あのブルーの客車の姿であった。1988年7月まではこの組み合わせて運転された。

 なお、今からちょうど10年前の「30周年記念号」の際は、このブルーの12系客車での運転が再現されてデビュー当時を懐かしむひとときが見られた。

■JR西日本に承継されてレトロ客車に

 国鉄からJR西日本に承継された1988年から、「SLやまぐち号」の第2ステージともいえる時代に入る。いわゆる「レトロ客車」に改造された茶色の12系客車である。

 5両編成の一つひとつがよく作り込まれ、開放式展望デッキを持つ1号車に始まり、欧風客車、昭和風、明治風、大正風とそれぞれの時代の特徴を反映した車両は「また乗りたい列車」としての素質が十分な列車だった。

 外観も、連結面や裾の絞り込みなど12系らしさが所々にあったものの、全体としてはレトロな雰囲気が随所に演出されて、レトロ客車として十分に通用するものだった。国鉄から分割民営化で発足したばかりのJR西日本の本気が感じられるものだった。


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