幸運が重なったことで打線はさらにつながる。次打者の六番・梁瀬彪慶が2点適時打を放ち4対8に。勢いそのままに、つづく星稜のエースで七番・岩下大輝(現千葉ロッテマリーンズ)は場外へ本塁打を放った。1死も取られないままあっという間に6対8まで追い上げた。

 その後1死を取られるも2連打で再び一、三塁の好機。2巡目の二番・村中の打球はショートへ転がった。ダブルプレーになれば試合終了というところで、村中が一塁へ決死のヘッドスライディングをみせ、ゲッツー崩れに。その間に三塁走者が生還して7対8。ついに1点差に迫った。

 これで2死。後はなくなったが、四球で一、二塁とし、同点のランナーを得点圏に置くことに成功した。星稜ベンチには、感極まって涙を流す選手もいた。

「一打で必ず本塁へ帰る」

 二塁走者の村中は何度も自分に言い聞かせた。

 その初球だった。四番・村上が直球をセンター前へはじき返すと、村中は一気に本塁へ生還。これで8対8の同点。小松大谷の選手たちは呆然としていた。ふり返れば、この時点で勝負は着いたのかもしれない。

 打席に向かう佐竹にエースの岩下が声をかけた。

「楽に打ってきていいよ」

 佐竹が「決めてきますね」と応じると、「決めてこい」とほほを軽く叩かれた。気持ちが楽になった。「最後は勢いだった」と振り返る佐竹はその打席、左越えのサヨナラ適時打を放った。仲間たちと泣きながら抱き合った。8点差からの逆転サヨナラゲームは、それまでの地方大会の決勝では最多点差だった。

 このドラマには続きがある。翌年の石川大会準々決勝は、同じ星稜対小松大谷に。そしてこの試合、3対0とリードされていた小松大谷が、九回裏に一挙4点をあげサヨナラ勝ち。小松大谷にとっては一年越しでの「雪辱」となった。いずれの試合にも出場した佐竹は「これが人生なんですね」と感慨深げに話す。

「どんなにピンチでも、あきらめなければチャンスはくる。逆にどんなに有利な立場でも、気を抜くと足元をすくわれる。何が起きるかわからないのが野球、そして人生なんですね」

 佐竹は来年、神奈川県内の大学を卒業する。就職活動では40社を受けるなど苦労の末に内定を勝ち取った。

「あの経験があったから、何があっても頑張れます」

 壮絶な試合を経験をしたからこそ、いまも逆境にも立ち向かえている。

(AERA dot.編集部/井上啓太)