国内の当事者向けイベントを主催してきた池井多さんは、2016年にフランスの当事者団体「ヒキコモリ フランス」を知り、自ら入会して取材を開始。翌年には「GHO(世界ひきこもり機構)」を設立し、フェイスブック上の会員は現在約290人にのぼる。先日、ニュージーランドのメンバーが「Hi、ヒキコモリ! どこに住んでる?」と問いかけると、イタリア、フランス、レユニオン島、スロバキア、インドネシアなど世界各地から声が上がった。インターネットを通して、日々の出来事や感じたことをシェアしたり、情報交換したりと交流が広がっている。

 池井多さんが世界のひきこもりに関心を持つようになったきっかけは、20代のころにさかのぼる。家族との関係が悪化して日本を飛び出し、海外の安宿にこもる「外こもり」状態になっていたとき、南アフリカ・ケープタウンで同じドミトリーに長期滞在していた同じ年のイタリア人男性、ジョゼッペと知り合った。まだひきこもりという言葉が登場していない1980年代。こじれた家族関係に苦しみ、就学や就職をせず、長い間社会との接触を避けているなど、2人の共通点は多かった。後にイタリアの自宅を訪ねると、彼の友人にも同じような状況の人たちがいることを知った。

 日本で「ひきこもり」という現象が広く知られるようになったのは、それから20年後の2000年代だ。

「当時、『ひきこもりは日本社会の産物』というのが定説でしたが、私は海外にもいると確信していました。専門家の見解はその後、カトリックや儒教の地域に多い、裕福な先進国に多いなどと変化していきましたが、いずれも私のインタビューによって反証されているのではないでしょうか。彼らの話を聞けば、一つの国の文化や社会状況がひきこもりを生み出しているわけではないことが理解できると思います」(池井多さん)

 池井多さんは30代のころ、外こもり中のアフリカで経験したことを綴った作品でジャーナリズム賞を受け、一時は国際ジャーナリストとして働いた経験もある。とは言っても、今は自身も取材相手も遠く離れた場所でひきこもる身。取材は特有の苦労を伴うという。

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電話は苦手… インタビューの方法は?