「ひきこもり小説家」50歳の告白 精神状態を無痛にして生きている日々 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「ひきこもり小説家」50歳の告白 精神状態を無痛にして生きている日々

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萱野葵dot.
※写真はイメージです(GettyImages)

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■暇な時はひたすら寝ている

 食事は一日一回。外へ出るのはコンビニくらい、飲食店も店員の冷遇が何となく怖くて入れないほどのひきこもりぶりだ。だが、家の中はゴミ屋敷ではなく、こまめにゴミ出しをする程度のことはやる。入浴、歯磨きはするが、化粧はしない。郵便物と言えば、ほとんど電話料金のコンビニ払いの請求書くらい。毎日人と話さなくても苦しくはない。暇な時はひたすら寝ている。そうでなければパソコンやスマホでもいじっているか、わずかな友人たちと時々電話する程度だ。

 本はほどんど読まない。そもそも私は読書家ではないのだ。文学をよく知りもしないのに、たまたま新人賞を獲り、他にやりたいこともなかったので、流されるように物書きの世界に紛れ込んでしまった感がある。そう考えてみれば才能がなくとも当然なのかも知れない。ただ、いくら暇でも、SNSは一切やらない。売文業に馴染んでしまったので、原稿料が貰えないのに文章を書くことに抵抗があるのと、編集者のチェックを経ていない文章を個人発信して炎上するのが嫌だからだ(SNSに関しては、やっている人たちの勇気に驚いてしまう)。

 そういう私でも、たまには動くこともある。ゴールデンウイークには「わずかな友人たち」の一人とディズニーシーに行った。そして、年に1,2回程度、一人で映画を見に行く。今年は「翔んで埼玉」と「パタリロ!」を見た。キャラメル味のポップコーンとジンジャーエールを口にしながらスクリーンを眺めている時間は、ほどほどに楽しいものだった。

■先進国にだけ許される特権階級

 世間から、何とまあゆるい、幸福感溢れる甘ったれたひきこもりだとお叱りを受けるのは重々承知している。

 それでも、敢えてレアケースのひきこもりというスタンスで自分のケースを考えると、資本主義・民主主義が成熟し、村落共同体がとっくに解体された先進国の日本だから生きていられるんだなあ、とつくづく感謝してしまう。発展途上国だったら他者に混ざって農業だの何だのをしなければ生きられないだろうし、ひきこもりだなんて甘えたことを言っていたら、飢え死にしてしまう。ひきこもりはおちこぼれではなく、むしろ先進国にだけ許される特権階級(?)で、だから日本でも問題視され始めたのが、かなり新しい年代、1990年代に入ってからだったのだと思う。

 だが私の場合、親は二人ともこの世を去り、兄弟とも没交渉なので、自分のこのひきこもり生活を問題視したり、干渉したりする者はいない。

 生活費に関しては、投資で賄っている。投資は親の死の前からやっていた。今の元手は自分の貯金と親の遺産9:1くらいだ。今はそこから出る配当金で何とかやっていけているので、小説を書けなくとも特に困ることもない。


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