――日米をまたにかけて暴れまわった「殺人魚雷」

「殺人魚雷コンビ」は、90年2月、ウィリアムスが新日本から全日本へ移籍した際に結成された。

 初戦でタッグ結成、シリーズ最終戦では天龍源一郎、ハンセンの「龍艦砲」を破り世界タッグ王者を獲得し一気に名を挙げた。その後も90、91年と2年連続世界最強タッグ決定リーグ戦を連覇。絶対的な強さを誇り、世界タッグ王座は通算5回獲得した。

 米マットでも92年7月、WCW世界タッグ王座、直後にはNWA世界タッグ王座を獲得するなど、日米を股にかけての大暴れ。90年代初期を代表するタッグチームであった。

――サッカーファンにも影響を及ぼした「勇士の叫び」

 サッカーファンなら周知であろうが、浦和レッズの応援に、「ウォーリア」と呼ばれるものがある。KISSの名曲「I Love it Loud」(勇士の叫び)の前奏、間奏部分をスタンド一体となって叫ぶもの。

 多くの栄光を重ねてきた浦和。自らを奮い立たせる時、相手を威嚇する時……。どんな時もこの応援はチームとともにあった。

 プロレスで入場曲にしていたのが、「殺人魚雷コンビ」。ちょうどJリーグ開幕とタイミングを合わすように全日本マットを席巻していた。プロレスの入場シーンはある意味、最もインパクトがある瞬間だ。真偽は定かではないが、2人の活躍を見て、浦和ファンがこの曲を応援に使ったとしても、不思議ではない。

 01年にゴディは心不全、09年にウィリアムスは咽頭ガンでこの世を去った。

 しかし「勇士の叫び」は永遠に語り継がれる名曲。そして浦和レッズがある限り、ジャンルを超えサッカー、スポーツファンも日常的に耳にする。

 この曲とともに「殺人魚雷コンビ」の激しいファイトが思い出される。「勇士の叫び」がかかる中、ゴディとウィリアムスがリングインし共に交差するようロープを走る姿が蘇ってくる。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍やホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を不定期に更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。