登場時の0系のビュッフェには、FRP製の1人掛け座席が窓向きに設置されていた。クッションもなく座り心地は微妙だが、この座席に座って食べたカレーライス(その後食堂車でも食べ比べた)の味と、富士山の風景は忘れられない。

 0系の接客設備に大きな変化が起こったのは、1974(昭和49)年に登場した食堂車と、1980(昭和55)年から、普通車に簡易リクライニングシートが採用されたことだ。

 0系食堂車は愛知県の「リニア・鉄道館」で保存されている。通路とレストラン部分が分離されており、登場時は通路の客から食事風景を見られないように配慮され、通路側には窓がなかった。これには「食事しながら富士山が見られない」というクレームが多く、1979(昭和54)年からは通路側壁面に窓が設けられた。

 ただし、通路側には窓が設置されない座席もあった。0系食堂車は2人テーブルと4人テーブルの座席配置。それが7列あったので食堂定員は42名だったが、レジから一番遠い1列のみは「座席の異なる特別席」となっていた。この部分は座席のクッションが非常に柔らかく、座り心地に優れた座席である。特別料金などが発生する座席ではなかったが、著名人が新幹線食堂車を利用した際には、優先的に案内される座席であった。

 一般の食堂部分にある座席も腰の収まりがよく、座り心地のよいものである。無機質なFRP座席が並ぶ、当時の在来線食堂車とは格の違いを感じられた。もっとも、そう感じたのは当時の新幹線食堂車が帝国ホテルや都ホテルといった、一流ホテル運営のものが多かったこともあるだろう(カレーは高いが、ビュッフェとは比較にならないほどおいしかった)。

■第30次車以降はリクライニングシートになるが……。

 1980(昭和55)年には、ライバルとなる航空機の発展などもあって、普通車にも簡易リクライニングシートが設置されることになった。

 当時、3人掛け座席を回転させるには座席間隔1250mmが必要だと考えられていた。このため、3人掛け座席はその半分が後ろ向きとして固定された(3人掛けは前向きを優先販売したが、満員なら3割の乗客は後ろ向きとなった)。窓が座席2列分の広窓から1列分の狭窓になり、眺望性が落ちたことも相まって賛否両論の座席となった。

 簡易リクライニングシートは「ひかり」普通車の座席交換と、1981(昭和56)年以降の2000番台に採用された。だが、リクライニング角度は6度(N700系では20度)で、座面が前に少し出るだけだったので、快適性の向上はあまり実感されなかった。

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JR時代に進歩を遂げた普通車座席