F1黄金期の主役だったアイルトン・セナ (c)朝日新聞社
F1黄金期の主役だったアイルトン・セナ (c)朝日新聞社

 アイルトン・セナが活躍していた1980年代から1990年代のF1が、非常に盛り上がった理由のひとつに「アイルトン・セナvsアラン・プロスト」以外にも、この時代にはほかにもいくつかの白熱したライバル関係が存在していたことが挙げられる。それが「アイルトン・セナvsナイジェル・マンセルvsネルソン・ピケ」だ。

 この3人は、何から何まで対照的なドライバーだった。資産家を父に持ちスピードを追求してブラジルから渡欧したセナに対して、マンセルの父はイギリスの地方都市の労働者階級だったため、レースは借金を重ね、時には持ち家を売るなど苦労してF1にたどり着いたドライバーだった。ピケはセナとブラジル人だが、セナはサンパウロ出身で几帳面で真面目な性格だったのに対して、ピケはリオデジャネイロ出身で自由奔放な性格の持ち主と対照的だった。

 ドライビングスタイルも、それぞれに特徴が異なっていた。セナは「セナ足」に代表されるように、非常に細かなアクセルワークを得意としていたのに対して、マンセルは豪快かつ大胆なドライビングスタイルを信条としていた。一方ピケは天才肌でどんなマシンに乗っても速く、かつ勝負強かった。セナもピケもともに3度チャンピオンに輝いたが、セナの3度のタイトルはすべてホンダ・エンジンだったのに対して、ピケはフォード、BMW、そしてホンダといずれのタイトルも異なるエンジンで獲得していた。

 この3人は、幾多の名勝負を繰り広げたが、その中でも語り継がれるのは「セナvsマンセル」の場合、1992年のモナコGPだろう。この年のF1はアクティブサスペンションを搭載したウィリアムズ・ルノーを駆るマンセルが開幕から5連勝を達成し、シーズンを席巻していた。迎えた第6戦モナコGP。このレースもマンセルがポールポジションからスタートし、レース中盤までは独走していた。ところが 終盤に入ったところで、タイヤに違和感を覚えたマンセルが突然ピットインしたため、その間にマクラーレン・ホンダのセナが逆転した。

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セナが真っ向勝負で敗れたシーン