ただ、残念ながら、アジアに赴いた日本人監督の成功例は決して多くない。近年では、大宮アルディージャやコンサドーレ札幌をJ1昇格へと導いた経験のある三浦俊也監督が2014年5月から2年契約でベトナム代表の指揮を執ったものの、兼務していたU-22代表が2016年リオデジャネイロ五輪最終予選を兼ねた2016年AFC・U-23選手権で1次リーグ敗退し、解任の憂き目に遭っている。

「ベトナム人は体が小さく、フィジカルコンタクトを苦手としている部分があったので、そこを強調したし、オフ・ザ・ボールの部分でもハードワークを繰り返すことの大切さを徹底して指導した」と同氏は語っていたが、こういった課題は東南アジアの選手に共通する部分。高温多湿の気象条件もあり、絶え間なく動き続け、激しく守備に行き、味方を献身的にサポートしながら粘り強く戦うというメンタリティはどうしても生まれにくい。

 それは岩政も指摘していた点だ。

「タイは何事も『いいや、いいや』という空気が根強い。自分自身が強い意志を持たないと周りに流されてしまう傾向が強いと思います。それに、タイの選手は戦術理解に乏しいというマイナス面がある。対戦相手を徹底的に分析して対策を講じ、強固な守備組織を作るアプローチが僕がいた当時はあまりなかったですね。その重要性をチャナティップらに伝えた結果、所属したBECテロの総失点が大幅に減りましたが、そういう難しさに直面したのは事実です」

 これまでずっと日本で仕事をしてきた西野監督はタイ人選手のメンタル面や戦術理解力、守備意識などのベーシックな部分に戸惑う可能性が少なくない。その現状をいち早く理解し、選手たちの意識を変え、チームとしての一体感を作っていくのか。まさに手腕が問われることになる。

 もう1つの難題はタイ協会との関係だ。今回の代表監督就任に関して、契約締結前にソムヨット会長が「99%決まった」と発言。慌てて火消しに回る羽目になったように、西野監督は日本との物事の進め方の違いにいきなり面食らったことだろう。実際、アジア諸国の場合、協会会長やクラブオーナーの鶴の一声で全てが変わってしまうケースが多い。そうした部分でアジアにチャレンジした日本人指導者たちは悩まされてきた。

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あの岡田監督も面食らった