ある都立高校に勤務する現役女性教員に話を聞いた。彼女の勤務校は多部制定時制高校で、義務教育段階で何かしらの問題が起こり、学力も十分に伸ばせなかった生徒が集まる「教育困難校」の1つである。

 この女性教員は、「そこにいないと何を言われるかわからないので、学年の会議や宴会には必ず出る」と苦い表情で語る。日頃も、職員室等で、その場にいない教員の悪口を他の教員が言う場面を見ることが多い。「企業勤めの夫は、出たくないならパスしていいと言うけれど、アルコールの入る場に自分がいなければ何を言われるかわからないから」と不安をにじませる。

■教員を「使える」「使えない」の基準で分別
 筆者自身も「教育困難校」の現役教員時代、同様の思いを持っていた。同じ学年に所属している教員は、その学年生徒の授業や生徒指導を主に担当するので、常に一緒に行動することになる。同じ学年の教員は表面的には仲が良いように見えるのだが、その中で存在感の大きい教員が、他の教員を「使える」「使えない」の基準で分別し、「使えない」とされた教員を裏で攻撃する。

 筆者が勤務していた高校での判断基準は、荒れた生徒に対して大声で威圧的な生徒指導ができるか、学校に長時間いられるかの2点のみだった。その教員が教科に関して卓越した知識を持っていようと、学校外で素晴らしい活動をしていようと関係ない。そうなると、ほとんどの女性教員や学究肌の教員、おとなしい性格の教員は「使えない」部類に入れられることになる。大きなストレスがかかり、その上なかなか効果も見られない日々の生活が憂さ晴らしの対象を求めさせるのだろう。「使えない」教員たちの存在は、他の教員の自尊心を守るためのスケープゴートのようだ。

 他人の悪口を言う人はどこの職場にもいるという反論が出るかもしれない。だが、教員にあらゆる面で余裕のある「進学校」などでは、特定の人を徹底的に貶めるような雰囲気はない。同じ職業に就いていながら、勤務先でこれほど雰囲気が変わるのかと痛感した体験を持つ教員が全国にあまた存在することに疑問の余地はない。

「教育困難校」教員は、本来教員の仕事内容ではない多種多様な指導に物理的・精神的に苦しめられる。その上に、余裕のない教員集団から発生する独特の雰囲気に追い打ちをかけられる。転勤で、この二重苦から解放される時を待ち焦がれるのは当然だろう。

<著者プロフィール>
朝比奈なを(あさひな・なを)
教育ジャーナリスト。筑波大学大学院教育研究科修了。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。