「名勝負数え唄」は新日本プロレスブームの原動力となり、維新軍団は新日本プロレス本体をしのぐほどの勢いに (C)朝日新聞社
「名勝負数え唄」は新日本プロレスブームの原動力となり、維新軍団は新日本プロレス本体をしのぐほどの勢いに (C)朝日新聞社

 6月26日、聖地・後楽園ホールで現役引退した長州力。

 得意技リキラリアットやバックドロップなど、激しい技の応酬で見るものを熱くさせた。そしてレスリングでミュンヘン五輪出場を果たしたレベルの高いグラウンドの攻防は通をも唸らせた。

 藤波辰爾との「名勝負数え唄」や、「毎日、頭のどこかにあった」というアントニオ猪木との熱戦。全日本プロレス参戦時にはジャンボ鶴田(故人)と激闘を繰り広げ、天龍源一郎とは何度も戦った。スタン・ハンセンなどトップ外国人との死闘もあった。賛否両論あった邪道・大仁田厚と電流爆破のリングに上がったのも記憶に新しい。インディーを含め数多くの団体に参戦経験もあり、その1つ1つが実に印象深いものばかりだ。

 45年にわたる現役生活、名勝負に挙げられる試合は数多い。その中で忘れられない試合がある。86年3月13日、日本武道館。全日本プロレスvsジャパンプロレスの全面対抗戦、タイガーマスク(故・三沢光晴)戦だ。

 のちに日本を代表するレスラーとなった三沢(当時はタイガーマスク)と長州のシングル対決、実はこの1試合しかおこなわれていない。歴史的一戦のはずだが、語られることは少ない。

「夢のカード」として、注目こそ浴びたが、階級や立ち位置、実力に違いがあった。

 当時タイガーはジュ二アヘビー級、団体のエースというよりアイドル的な扱いに近かった。自身の未来像、スタイルを模索し始めていた。対する長州は新日本を離脱、ジャパンプロレスの一員として全日本で暴れまくり、タイトル戦線にも絡んでいた。当然、戦前の予想は明白だった。

「何であそこまで足にこだわったのだろう。あれはタイガーのスタイルじゃないだろう」

 長州がコメントするほど、タイガーは試合開始から足攻めに固執。空中殺法など華やかな技でファンを魅了する良さが消え、結果、力の差をより感じさせる試合だった。

 唯一の見せ場となったのは、長州の必殺技「サソリ固め」封じ。これまではサソリを防ぐには、ロープエスケープくらいしかなかった。タイガーは両腕で身体を持ち上げ、前転の要領で長州の両足の間に身体をねじ込んで返した。

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「サソリをスカされて少し戸惑ったけど…」