2007年、北京で歌う後藤真希 (c)朝日新聞社
2007年、北京で歌う後藤真希 (c)朝日新聞社

 7月10日放送の「梅沢富美男のズバッと聞きます!」は「モー娘。同窓会SP」だった。そのなかで矢口真里がちょうど20年前の出来事をこう振り返った。

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「次の曲が売れなかったら、ちょっとやばいねっていうのをマネージャーさんから言われてて。もう、やばいね、イコール、解散なんですよ。で、次に出したのが『LOVEマシーン』っていう曲だったんで。後藤(真希)も入ってきて、うちらは救世主だねって言ってて。逆に、すっごい可愛い子、来たからラッキー!って」

 結成から2年弱を経て、岐路に立たされていたモーニング娘。に当時13歳(中2)のゴマキこと後藤真希が加入。彼女がセンターを務めた「LOVEマシーン」の国民的大ヒットにより、モー娘。の黄金時代が始まったことへの回想である。

 MCからは「自分のポジションが奪われるという思いはなかったのか?」という質問も飛んだが、

「なっちはもしかしたら思ったかもしれない、それまでセンターだったから。うちらサイド側は全然もう」

 と答えた。こうしたやりとりから、当時のことをまざまざと思い出す人も多いだろう。それくらい、ゴマキの出現は衝撃的だったのだ。

■結婚、離婚、不倫、損害賠償……

 それから20年、彼女は依然として注目を浴びている。14年に3歳下の地元の後輩と結婚して、2児をもうけていたが、今年3月、元恋人との不倫が発覚。その後、夫が元恋人に損害賠償を請求したり、元恋人が夫からゴマキへのDVを主張したりと、ドロドロの展開になった。それでも、6月に和解が成立。今月に入ると、4ヶ月ぶりにインスタグラムを再開して、それもニュースとしてとりあげられた。

 とはいえ、救世主とまで呼ばれた20年前に比べると、失速感は否めない。浮き沈みは芸能界の常とはいえ、安室奈美恵のように20年以上、トップに君臨し続けた人もいるのだ。ゴマキはなぜ、そうなれなかったのだろう。その理由を考えるうえで浮かんでくるキーワードがある。「普通」と「ヤンキー」だ。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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「ヤンキー」寄りの普通の子