もう一人のオールスター男・清原は、初出場時に27歳だった落合とは対照的に、高卒1年目から眩いばかりのオーラを放っていた。ルーキー時代の86年の第2戦(大阪)で遠藤一彦(大洋)から同点弾を放ち、見事MVPを受賞。翌87年も第3戦(甲子園)で桑田真澄(巨人)からの先制2ランを含む猛打賞で2年連続MVPに輝いた。

 そして、88年の第3戦(東京ドーム)でも、2対2の延長10回2死三塁、伊東昭光(ヤクルト)から勝ち越しの一塁内野安打を放ち、3年連続MVPに王手をかけた。

 その裏、全セは2死三塁で中村武志(中日)が遊ゴロに倒れ、これでゲームセットと思われた。ところが、ショート・田中幸雄(日本ハム)がまさかの一塁悪送球で、3対3の同点に。この瞬間、賞金200万円のMVPは幻と消え、さらに12回、水野雄仁(巨人)のサヨナラ犠飛で全セが勝ったことから、100万円の優秀選手にも選ばれなかった……。

「100万円の札束に羽根が生えて、僕の頭の上を飛んでいきましたわ。自分で試合やってて、こんな漫画みたいなの初めてです」とボヤいた清原だったが、“幻のMVP”抜きでも、通算7度受賞は歴代トップだ。

 また、清原は佐々木主浩(横浜)、松坂大輔(西武)、藤川球児(阪神)らに全直球勝負を持ちかけるなどして、山本浩二(広島)の球宴記録14本塁打に「あと1」と迫った。だが、記録更新がかかったオリックス時代の06年第2戦(宮崎)で、藤川に空振り三振に打ち取られ、「すごいストレートが来た。まいりました」と脱帽。これが清原の球宴最後の打席となった。

 落合、清原とほぼ同時期に活躍し、西武時代には清原とともに黄金期を彩ったのが工藤公康だ。

 29年の長きにわたった現役生活でオールスター出場は10回と意外に少ないが、91年の第2戦(広島)では、「えっ、まさか!」の外野守備に就いて、ファンを驚かせた。

 3対3の延長12回2死一塁、秋山幸二(西武)がカウント2-2から自打球を顔に当て、負傷退場したアクシデントがきっかけだった。

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工藤公康にまさかの指令