エメルソンの後を引き継いで浦和をアジア最強クラブへと押し上げたロブソン・ポンテも忘れられない名選手だ。2005年から2010年までの在籍期間にJ1・144出場33ゴールを記録し、2007年のAFCアジアチャンピオンズリーグを含む5つのタイトル獲得の原動力になった。高度な技術と戦術眼が凝縮されたスルーパスと鋭いミドルシュートで数々のチャンスを作り、絶対的エースFWワシントンとのホットラインで破壊力抜群の攻撃を組み立てた。若かりし長谷部誠や原口元気も彼に大きな影響を受けたのは確か。「味方の長所を生かせる気の利いた司令塔」はJリーグの歴史にしっかりと名を刻んでいる。

 東京ヴェルディを皮切りに、横浜F・マリノス、ジェフユナイテッド市原、清水エスパルス、鹿島、ベガルタ仙台、神戸と7つのクラブを渡り歩き、J1通算333試合出場152ゴールという驚異の数字を叩き出したマルキーニョスの存在価値も見逃せない。とりわけ、彼がまばゆいばかりの輝きを放ったのが、2007年から2010年の鹿島時代。オズワルド・オリヴェイラ監督体制の鹿島は2007年から3連覇を飾っているが、その3年間は14、21、13ゴールとコンスタントに2ケタ得点をマーク。2008年には得点王とMVPをダブル受賞した。

 当時まだ若手だった興梠慎三や内田篤人にとってもブラジル人ストライカーの存在は心強かったはず。興梠はマルキーニョスから得点を奪う術の一端を学び、内田も彼のような動き出しの鋭いアタッカーへのクロスの供給を体得し、その後の成功につなげたところがあった。2012年から2013年の横浜時代も、中村俊輔とのホットラインは完成度が高く、「マルキがいるから思うような攻撃ができる」と中村も絶大な信頼を寄せていた。彼の影響力の大きさは我々も今一度、認識すべきだろう。

 この他にも、川崎フロンターレを躍進させたジュニーニョ、2011年の柏レイソルのJ1制覇の立役者となったレアンドロ・ドミンゲス、J2時代の京都サンガから最終的にマンチェスター・ユナイテッドまで飛躍したパク・チソンなど印象深い外国人は少なくない。

 近年はタイのチャナティップ・ソングラシンのようにアジア出身の選手も活躍していて、優良外国人の勢力図も変わってくる可能性も大いにある。Jリーグの外国人枠拡大もあって、多国籍軍化はこの先、一層進むだろう。そんな中、新たな成功を収める選手は誰なのか。我々の度肝を抜くような次なる助っ人の参戦を楽しみに待ちたい。