3年の夏、転校を決めた。

 高校ではデザイン科のある学校に進んだ。おとなしい人が多かったためか、イジメはなくなったという。それでも、中学で染みついた佐藤さんの外見へのコンプレックスは拭えなかった。「人に見られない仕事に就こう」と、週末に声優養成所へ通ったが、講習を受けるスタジオの床が黒く、剥がれ落ちた白いフケが目立った。周りの視線に耐えられず、4年で養成所を辞めた。

「今思えば何の根拠もなかったのですが、ある日、『お湯の中で汗をかいたら症状がよくなるかも』と友人が銭湯に誘ってくれたんです。乾癬になってからはずっと避けてきましたが、勇気を出して平日の人が少ないときに行くことにしました。入浴していると、私たちの浴槽だけが空いていたんです。しばらくして中年の女性に『皮膚病が来るんじゃないよ』と怒鳴られました。友人は『感染しないから来てんだよ』と怒ってくれたのですが、そんなことを友人に言わせてしまった自分を責めました」

 仕事でも佐藤さんの苦悩は続いた。人間関係ができることを避け、同じ仕事を長く続けられなかった。工場での作業や、ティッシュ配りなどの日雇いのアルバイトを転々とした。症状がひどいときには関節が痛み、立ち上がることすら難しかった。半年ほど家にこもることもあり、「このまま消えてなくなりたい」と思いつめるようになった。

 転機となったのは3年前。症状が悪化し、皮膚に膿がたまる「膿疱性乾癬」になった。国指定の難病になったことで、治療に補助金が出るようになったのだ。それまで、効果は高いものの「1回の点滴で50万円ほどかかる」といわれ、手が付けられなかった「生物学的製剤」と呼ばれる治療が受けられるようになり、症状は一気に改善した。実際は高額療養費制度により、自己負担額は抑えられるが、それでも当時の佐藤さんに二の足を踏ませるには十分な金額だった。

 運よく生物学的製剤を使用できたことで、今では一見して乾癬患者だとはわからないほどに症状は治まっている。佐藤さんは「妖怪だった私が、やっと人間になれた」と笑顔で話す。病気を乗り越えられたのは、夫の尚さん(37)の存在も大きい。

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医療費払えず再び重症化するケースも