1997年に開業した秋田新幹線。東京駅では出発式が行われた (C)朝日新聞社
1997年に開業した秋田新幹線。東京駅では出発式が行われた (C)朝日新聞社
開業当初の「こまち」は5両編成だったが、好評のため6両編成に増結された (C)朝日新聞社
開業当初の「こまち」は5両編成だったが、好評のため6両編成に増結された (C)朝日新聞社
E3系は車体幅が狭いため、新幹線ホームで隙間ができないように客用扉の下にステップが出る(撮影/松原一己)
E3系は車体幅が狭いため、新幹線ホームで隙間ができないように客用扉の下にステップが出る(撮影/松原一己)
「こまち」カラーのまま全般検査から出場し、試運転を行うE3系R21編成(撮影/松原一己)
「こまち」カラーのまま全般検査から出場し、試運転を行うE3系R21編成(撮影/松原一己)

 秋田新幹線「こまち」がE6系に置き換わって久しいが、引退したE3系の一部は、今も姿を変えて活躍をしている。このうち2編成は、今も「こまち」時代の塗色をまとっているのである。

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■秋田新幹線開業・E3系デビュー

 今から22年前の1997年3月22日、秋田新幹線が開業した。山形新幹線に続くミニ新幹線の第二弾で、車両も新たにE3系が新規開発され、投入された。「颯爽-自然風景と未来の調和」というエクステリアテーマを持つカラーリングは、北東北の銀世界のようなホワイトとメタリックグレーのすがすがしいボディーにヴィヴィッドピンクと呼ばれるインパクトあるラインが魅力的。鉄道ファンだけでなく地元の人たちからも注目を集め、多くの人に愛される存在になった。

 運転当初は5両編成で、より一層「かわいらしさ」を感じられたが、好評のため翌98年には1両増結されて6両編成になった。東京~盛岡間では東北新幹線の「やまびこ」と併結運転を行い、当初はE2系だけでなく200系とのコンビもあった。今では想像もつかないような連結器カバーの開き方を懐かしく思い出される方もいるだろう。

 ミニ新幹線の特徴といえばステップである。フル規格の新幹線車両よりも車体幅が狭いため、新幹線区間の駅に停車すると大きな隙間ができてしまう。そこで、それを補うために客用扉の下に自動で開閉するステップが設けられたのだ。E6系の新しいタイプでは滑らかな開閉が行われているが、E3系「こまち」ではバタン!という音を立てて開いていたのが印象的だった。

■E6系デビュー。一部は廃車されずに次の舞台に

 そんなE3系「こまち」に最初の転機が訪れたのが、2013年3月16日のダイヤ改正である。後継となるE6系が営業運転を開始して「スーパーこまち」と命名され、E3系「こまち」と2本立ての時代が始まった。しかし、その期間はあっという間に過ぎ、翌14年3月15日ダイヤ改正では全てがE6系に置き換えられて、愛称も「こまち」に統一された。

 これによりE3系は、「こまち」から完全に離脱したのだが、その後は大きく二つに分かれる。編成番号に“R”を冠する全26編成中16編成(R1~R16)は、1997年の秋田新幹線開業までに製造された車両、R17編成もそれに続く時期に登場しており、これらは全てこの時点ですでに16年以上が経過していた。JR東日本の近年の新幹線車両を見ていくと、その耐用年数の想定は早ければ15年、長くても20年に満たないと思われる。そのため、これらの編成は全て廃車の道をたどっていった。

 その一方で、後期型となるR18~26の9編成は、4年以上のブランクがあって製造されたため車齢が比較的若く、改造されたものから廃車されたものまで、編成によって異なる結果となった。

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