例えばここ数年、発達障害という言葉が社会に浸透してきた。軽度のため、そのことを自覚できないまま社会とのずれに苦しんでいる当事者も多く、徐々に認知度が上がっている。また、発達障害はそのうちの一例だが、16年4月には障害者差別解消法も施行され、各所で合理的配慮が求められるようになった。

「見えない障害、という言い方が正しいのかわかりませんが、そういうものに社会が注目してきたというのも大きいと思います。社会の理解が進み、見えていないけども困っている人がいるのだなと。そう考えると、吃音の100人に1人というのはかなりの有病率ですから、共感を呼びやすいのかもしれません」(富里医師)

 そもそも吃音は、はっきりとした原因がわかっておらず、いまだに謎に包まれた部分が多い。したがって明確な治療の手立てもできていない。言語聴覚士による言語療法(訓練)は施されるが、「成人の吃音はゼロにすることはできない」と富里医師はいう。歴史的にも、吃音の矯正所などが建てられ、多くの人が治療を試みてきたが、その積み重ねが実を結ぶことはなかった。

 しかし1976年、吃音との闘いに転機が訪れる。「治すのではなく、どもっても、思ったことをしゃべろうよ」――そんな声明を、吃音当事者の団体が採択した。日本最大の当事者団体・言友会の「吃音者宣言」だ。それ以降、吃音は言語や体の問題ではなく、いかにして吃音とともに生きていくか、という心理的なアプローチから検討されてきた。

 実際、吃音当事者は心理的な困難に直面することが多い。たとえば、舞台に立って発表するのを避けがちになったり、電話で自分の名前を言うのが怖くなってしまったりする。理由は、自分が吃音でつまってしまったときの周りの反応が怖いからだ。過去の嫌な経験が、話すという体験に歯止めをかけてしまう。

 だからこそ、決して簡単な道のりではないが、言葉につまりながらも楽しく話ができたという体験を積んでいくことがなによりも大事だと富里医師は言う。

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吃音に悩む大人は当事者団体に相談を