8月15日のダイエー戦(神戸)では、8回に満塁の走者一掃の一塁線を破る逆転二塁打を放ち、お立ち台で「12万5千人(実際は2万7千人)のファンの皆さん、今日はどうもありがとうございます」と挨拶。再びスタンドの爆笑を呼んだ。

 パンチ同様、明るいキャラクターを売りに、無類の勝負強さを発揮するとともに、ヒーローインタビューでファンに笑いを提供したのが、広島時代の松井孝昌。

 91年9月21日の巨人戦(広島)、1点差の7回1死一、二塁のチャンスに代打・長内孝の代打として打席に立った松井は、宮本和知の暴投で二、三塁とチャンスが広がった直後、見事右越えに逆転タイムリー二塁打。

 4対3の勝利後、ヒーローとしてお立ち台に呼ばれると、「初めてなんで、時間をください」と言って、「ダイエーから(移籍して)来た松井隆昌、25歳。違いのわかる男です!」と自己紹介。いきなり笑いを取った。

 同じころ、ベンチ裏で報道陣に囲まれていた山本監督も「みんな、こいつはおもろいから、ちょっと先に聞こうや。ほんまおもろい奴っちゃ」と言って、ヒーローインタビューに見入っていた。

 その期待に違わず、松井は「カープに来たとき、山本監督が“私はドライではありません”という(出演しているビールの)コマーシャルどおりの低い声で“頑張れ”と言ってくれたんです」とコメント。山本監督はもちろん、周囲は大爆笑だった。さらに「ガッツポーズは自軍のベンチに向かってやりました。相手ベンチに向かってやったら、まずいですから」「これまでお笑いで売ってはいかんと必死でした」などの爆笑コメントを連発。ヒーローインタビューは、お笑いタレントも顔負けの独演会と化した。

 さらに同29日のヤクルト戦でも、6回に代打逆転満塁ホームランを放ち、2週続けてヒーローに。「こういう一瞬のために生きてるんだなあ」の名セリフを吐き、大喝采を受けた。

 実働10年の現役生活で、通算34本塁打しか記録していないのに、“記憶に残るアーチ”を何本も放ったのが、ダイエー、ヤクルト、オリックスの3球団に在籍した広永益隆。

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“メモリアル弾”男・広永