隼人工は2日前に腰を痛めたエース・末原淳一がお昼に痛み止めの注射を打ったにもかかわらず、試合開始が大幅に遅れたため、プレーボール直後から痛みに耐えながらの健投だったが、勝利の女神は微笑まず。福岡幸彦監督は「9回まで試合できたことに感謝しても、開始の遅れを敗因にしたくない」と結果を真摯に受け止めていた。

 足を負傷して満足に走れない代打が“片足の走塁”で内野安打をかち取る必死の姿がナインを勇気づけ、奇跡の同点劇を呼んだのが、98年の広島大会2回戦、広島工vs三次。

 学校創立100周年に甲子園出場を目指す三次は、梵英心主将(元広島)ら広島市内の強豪校からも誘われた地元の有力選手を集め、3年計画でチームを強化してきた。

 だが、最後の夏は、春夏併せて9度甲子園出場(当時)の強豪・広島工に0対4とリードされ、9回裏の攻撃も2死二塁と敗色濃厚。この場面で光久孝治監督は3年生の大畠知之を代打に送った。もともとは正三塁手だったが、春の県大会で左足を骨折。懸命のリハビリの末、開会式の入場行進には間に合ったものの、まだ普通に走ることができない。「3年生全員を試合に出したい」という監督の教育方針からの“思い出代打”だった。

 3年間の思いを込めてフルスイングした大畠の打球は二遊間に転がった。二塁手がかろうじて追いつき、外野に抜けるのを防いだものの、この間に大畠は右足1本で懸命に飛び跳ねながら、間一髪で一塁セーフ。2死一、三塁とチャンスを広げた。

 次打者・小松康彦も安打で続き、1点を返してなおも2死一、二塁。ここで「大畠の気持ちがみんなに乗り移った」と勇気を貰った1番・梵が起死回生の同点3ランを放つ。まさに「現実がドラマを超えた」瞬間だった。

 試合は延長11回の末、4対5で惜敗し、「県北から甲子園へ」の悲願は夢と消えたが、最後まで全力を尽くしたナインに悔いはなかった。

 うっかりユニホームを忘れてきた正遊撃手の“失策”を監督が咄嗟の機転で救い、勝利を引き寄せたのが、昨年の北福岡大会準決勝、折尾愛真vs北九州だ。

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ユニホーム忘れを解決した仰天の奇策