折尾愛真はユニホームを忘れるハプニングを乗り切った (c)朝日新聞社
折尾愛真はユニホームを忘れるハプニングを乗り切った (c)朝日新聞社

 いよいよ今年も甲子園出場をかけた夏の熱い戦いが全国で始まるが、懐かしい高校野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、夏の選手権大会で起こった“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「ちょっといい話編」だ。

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 7回終了後に日没コールドゲーム成立と思いきや、ナイター設備のある近くの球場に移動して試合が続行されるという珍事が起きたのは、1995年の鹿児島県大会1回戦、薩南工vs隼人工だ。

 この日は市営鴨池球場で3試合が予定され、両校は第3試合に登場する予定だったが、第1試合の鹿児島中央vs鹿屋が延長16回の大熱戦、第2試合の大島vs頴娃も1点差の大接戦となった結果、14時30分開始予定が17時12分までずれ込んでしまった。

 3時間近くも待たされたあと、ようやく始まった第3試合は、安藤一馬の右前タイムリーなどで薩南工が2対0とリードも、7回終了後の19時15分、日没が迫ってきた。同球場にはナイター設備がないので、通常のルールなら7回日没コールドになるところである。

 だが、県高野連は約200メートル離れた県立鴨池球場に移動して試合を続行するという異例の提案を行い、薩南工の有馬純久監督も「3年生には最後の夏。9回までやらせたい」と同意した。薩南工はベンチ入り全員、隼人工はレギュラー9人中8人が3年生だった。点差はわずか2点。8回以降に逆転される可能性も考えると、日没コールドの勝利を選ぶほうが確実だったのに、「自分が相手なら9回までさせたいと思った」と隼人工の立場も考えての英断だった。

 かくして、移動時間等で30分を要したあと、試合再開。薩南工は8回2死満塁のチャンスに福元将太が左前に2点タイムリーを放ち、4対0で勝利。試合が終わったのは、20時過ぎだった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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