「もうパンツをはかない」の名言を残した勝新太郎 (c)朝日新聞社
「もうパンツをはかない」の名言を残した勝新太郎 (c)朝日新聞社

 6月21日は俳優・勝新太郎の命日だった。勝新が没してから今年で22年目となるが、これに合わせて「週刊ポスト」や「デイリー新潮」などの週刊誌メディアが稀代の役者を偲び、その功績を振り返る記事を出している。一方、5月には婦人である中村玉緒(79)が、勝新との息子・鴈龍太郎と絶縁状態であることが「女性自身」で報じられていた

平成の芸能界名言といえば前田敦子のこのセリフ

 芸能一家の次男として生まれた稀代の役者・勝新太郎。映画「座頭市」シリーズや「兵隊やくざ」などといった今も語り継がれる大作に主演し、その後は自らプロダクションを設立して映画制作を開始。後に莫大な借金を残すことにもなるが、カネにまつわる豪快なエピソードは今も語り草となっている。毎晩のように飲み歩き、関係者を引き連れてすべておごるのはもちろん、店で知り合った見ず知らずの人の飲み代まで持ち、「一晩で200万~300万円使っていた」という有名な逸話もある。

 ドラマウォッチャーの中村裕一氏は、俳優としての勝新についてこう語る。

「俳優として映画で活躍したのが今から半世紀以上も前なので、今の若者にとっては、彼が『座頭市』で演じた主人公・市(いち)が『ワンピース』の海軍大将・イッショウのモデルだったり、バラエティー番組で見かける中村玉緒の夫だったりすることも知らない人がほとんどでしょう。もともと勝新は23歳でデビューした当初から、映画プロデューサーで大映社長の永田雅一に可愛がられ、いくつもの作品で重要な役を与えられたのですが、思うように人気が出なかった。しかし1960に『不知火検校』で演じた盲目の按摩役でブレイクし、その後、一匹狼のやくざを演じた『悪名』がヒット。『座頭市』や『兵隊やくざ』で不動の人気を得るまでになったのです」

 昭和の大スターらしく、プライベートでの豪奢の生活ぶりも有名だった。

「テレビ放送黎明期の頃は、スターの名前で映画が封切られヒットすれば莫大なギャランティが入った時代。さらに、芸能界は裏社会との関係が深く多くのタニマチがお金を用立て、彼らの伝説づくりに一役買っていた。派手な役者のエピソードが週刊誌などで話題になればそれだけファンも付きますからね。勝新太郎さんは芸能記者たちを巻き込んで飲むこともしょっちゅうで、若手の頃に可愛がられた記者や芸能リポーターたちが今もさまざまなところでその伝説を語り継いでいます。昭和のスターの豪放磊落なエピソードは今どきの役者と違ってスケールが違うので聞いていて面白い」(週刊誌の芸能担当記者)

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B’z稲葉浩志と出会い