2019年8月3・4日には、例年春・夏・秋にキハ48形「びゅうコースター風っこ」で運行されてきた臨時快速「風っこ只見線新緑号」などのトロッコ列車に代わり、国鉄色のキハ47形2両編成による「只見線夏休み号」が会津若松~会津川口間に運行される予定だ。昭和の只見線を思い起こさせる“タラコ色”の気動車は、鉄道ファンらの注目を集めることだろう。

 会津川口で“行き止まり”、只見まで代行バスの運行が8年間も続いている只見線が全線復旧し、新潟方面への周遊ルートが再開される日を待ち望む声は、地元に限らず高まっている。復旧工事の着工は被災から7年後にあたる18年6月。21年度中の完成を見込むとすると、工期は3年あまりに及ぶ。

「開通したときは(会津)川口からここ(只見)まで1年4カ月の突貫工事で造れたんに、今度は何でそんなにかかるもんだが。運休になったときから勘定すれば、10年だよ」

 そう嘆く只見町の住民もいた。

■ダム・発電所工事専用鉄道として開通した運休区間

 只見線の福島県側は1926年、国鉄会津線として会津若松~会津坂下(ばんげ)間を皮切りに只見川に沿って線路を延ばし、56年には会津川口までたどり着いた。新潟県側は42年、国鉄只見線として小出~大白川間が開業している。

 一方、国の特殊会社である電源開発(J-POWER)は52年の設立当初から、いまの只見駅の南東5キロほどにあたる只見川本流・田子倉(たごくら)地点を締め切り、高さ145メートルの重力式コンクリートダムを築いて当時国内では最大となる出力38万キロワットの水力発電を行うという構想を抱いていた。田子倉ダム・発電所建設のために必要な資材の総量は45万3000トン。うち36万トンを容積・重量のかさむセメントが占め、ピーク時の輸送量は1日あたり1000トンと見積もられた。

 鉄道輸送なら処理できない量ではないが、当時の終着駅・会津川口は只見川の水面がホームのそばに接するほど構内が狭く、拡張して貨車からトラックへの積み替え基地を設けることは難しい。さらに会津川口駅から田子倉ダム・発電所建設予定地までは約32キロ。いまでこそ只見線に並行する国道252号は、最低片側1車線が確保された快適なドライブルートだが、当時は未舗装の細い県道で、1日1000トンをすべてトラック輸送でまかなうのは不可能な状況だった。

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国鉄への編入を見据えて建設された専用鉄道