最後の引退会見でも多くの人に感銘を与えたイチロー (c)朝日新聞社
最後の引退会見でも多くの人に感銘を与えたイチロー (c)朝日新聞社

 2019年3月21日。この日は今後、「イチローが引退した日」として語り継がれることになるだろう。数々の伝説を残してきた希代のヒットメーカーは、深夜から始まった引退会見で「貫いたもの?  野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます?  僕。大丈夫?」と自嘲しながら、自らが歩んできた孤高の野球人生を、自らの言葉で語り尽くした。日本のファンを前にした凱旋試合で期待されたヒットを放つことはできなかったが、最後の最後までグラウンドに立ち続けた姿は、実に格好良かった。

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 さらに6月20日、控え投手だった高校時代から「雑草魂」で這い上がり、2度の沢村賞に史上初の日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した上原浩治も引退を表明。「もうちょっとやりたかった」と涙を流しながら自らの心境を吐露する姿は、多くのファンの心を打った。同時に「気持ちと体と、なかなか一致しなかった」「悔しいですけど、自分が決めたこと」との決断は実に潔く、“引き際の美学”がそこにはあった。

 彼らだけではない。「我が巨人軍は永久に不滅です」の長嶋茂雄の引退スピーチはあまりにも有名だが、それ以外にも多くの選手がそれぞれの「美学」を見せてきた。

 その一人が、高校時代から怪物と騒がれた江川卓だろう。プロでの実働9年で計135勝。最終年となった1987年にも2ケタ13勝を挙げたが、シーズン終盤に広島・小早川毅彦にサヨナラ本塁打を浴び、「あのとき野球人生が終わった」と江川。その日、長年悩まされ続けた右肩の痛みを感じず、自ら完ぺきだと思って投じた自慢のストレートをスタンドまで運ばれたことで引退を決意。「来年は2ケタ勝てない」「ひとケタ勝利で終わるようではプロ野球を続けちゃダメだ」と、球団の慰留を押し切って32歳でユニフォームを脱いだ。

 江川と同じく、余力を残して引退した選手として思い出されるのが、新庄剛志だ。

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“男気”復帰で格好良すぎる引き際