でも、正雄さんは、いきなり怒りを表明するのではなくて、冷静に話すため、理由を聞こうとしています。ただ、怒りが隠し切れず、「勝手に」という言葉が入っています。

 以前も書きましたが、「なぜ」は聞く側には糾弾に聞こえることが少なくありません。その上「勝手に」という言葉も入っているので、綾子さんにとってはかなり強い王手がかけられた状態です。綾子さんは、ビクッと体が反応しています。

 棋士なら、王手に対してどうしたら逃げられるのか、形勢を逆転できるのか何十手も先まで読むのだと思いますが、それができるのは、コマの動き方など明確なルールがあるからです。

 それに対して、対人関係の場合は、こういう動きしかできないという制約がないので、自分の言葉に相手がこう反応して、それにこう応じると、相手はこう反応する……というのをロジカルに何十手も読むことは困難です。そのため、一般に人は、自分が子どものころから身に付けていた自分の得意な対応をしがちです。綾子さんの場合は、内面的には思考停止してパニックになり、外面的には謝るというパターンです。

「ごめんなさい」という綾子さんの反応はそうした経緯から出てきますが、正雄さんからするとその対応は、内容も理解せずに謝っておけば済むだろうという対応、つまりまた自分(の話)を無視している、ように見えてしまいます。これはまた、正雄さんにとっては王手をかけられた状態です。

 それに対して、怒りと失望を感じながら、正雄さんはやはり冷静に「謝るんじゃなくて、俺の話聞いていた?」と返します。正雄さんのパターンは、内面的には怒りと失望を感じ、外面的には冷静に相手を詰める、というものです。

 後で聞いたところによると、正雄さんは子どものころ、両親が感情をむき出しにして喧嘩し、時にはものが壊れたりDVのようなことが起こったりして、非常に怖い思いをしていました。しかし、母親は怖そうにおびえている2つ下の妹にばかり目を向けていて、正雄さんには目を向けてもらえなかったそうです。だから子ども心に、自分のことなんか誰も向き合ってくれないのだと「理解」し、両親のようになりたくないから自分は怒りを絶対に外に出さない、と決断したのを思い出したそうです。

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イライラした妻を焼き肉で釣る夫 「癪だけど乗ってしまう」