旧態依然とした水産業で六次産業化を成功させた坪内知佳さん(撮影/写真部・馬場岳人)
旧態依然とした水産業で六次産業化を成功させた坪内知佳さん(撮影/写真部・馬場岳人)

 漁獲量の低下に悩む漁師と手を組み、萩大島船団丸を結成し、「船上直送」を成功させた坪内知佳さん。著書『荒くれ漁師をたばねる力 ド素人だった24歳の専業主婦が業界に革命を起こした話』にも描かれた苦難の道のりのなかで、彼女はビジネス書には載っていない経営を追求した。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』がイメージというその経営スタイルとは?

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■高校生の時に思い描いた経営

 生きるために働くのか、働くために生きるのか。

 何かしらの仕事をしている人、してきた人なら一度は考えたことがあるだろう。24歳のシングルマザーだった2010年、漁獲量の低下に悩む山口県・萩大島の漁師と手を組んで、萩大島船団丸を結成した坪内知佳。彼女が仕事をする上で最初から意識していたのも、このことだった。そのきっかけは、坪内の祖母、叔母、母の3人が福井駅前で経営していた喫茶店で長い時間を過ごした幼少時代にさかのぼる。

「小学生の頃、お店にいたら電話が鳴って、ある常連さんが自殺してしまったと。その方は30分前までお店にいて、私の理科のテキストを見ながら一緒に桜の話をしていたんです。だから、すごくショックで。もちろん、詳しい事情はわからないけど、仕事絡みだと聞いて、なんで? 死ななくてもいいのに……という気持ちがずっと残りました」

 福井は経営者が多い県として知られる。坪内家の喫茶店には多くの経営者やビジネスパーソンが集っていたから、同じような話を耳にしたのは一度や二度ではなかった。そのたびに少女は、大人たちの深刻な話に耳を傾けながら、「生きるために働くのか、働くために生きるのか。もし私が同じような状況になったら、どうしよう。もし私の身の回りの人が苦しんでいたら、自分に何ができるかな」と考えるようになった。

 もちろん、時には上り調子の経営者もいて羽振りの良い話も聞いたが、10年以上も喫茶店にいたから景気には浮き沈みがあることにも気づく。高校生になった頃には、もし自分が会社を経営するならこういう会社がいいんじゃないか、というイメージができていた。

「私は、戦後復興期にあったなんとか商店みたいな、人と人との距離がものすごく近くて、アナログで身の丈に合った、地域に根差した中小企業みたいなほうが幸せなんじゃないかって考えていました。学校の延長みたいな感じで楽しくやれたらいいよねって」

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