2000年代に入ってからは、正田樹が話題を集めた。甲子園優勝投手としてプロ入りして2002年の新人王に選ばれた左腕は、2009年から2年間、興農ブルズでプレーして2年連続で2ケタ勝利をマーク。1年目の2009年は14勝(6敗)、奪三振115で勝投王(最多勝)と三振王(最多奪三振)のタイトルを獲得。その後、米マイナー、日本の独立リーグを経て2012年にNPB復帰を果たしている。

 その他、2001年のドラフト会議で巨人から外れ1巡目指名を受けてプロ入りした真田裕貴も、2013年に兄弟エレファンツでプレーし、台湾リーグ新記録となる32ホールドを記録して中継王(最優秀中継ぎ投手)のタイトルを獲得した。さらに、西武で活躍した横田久則は2003年に兄弟エレファンツで16勝を挙げて勝投王(最多勝)。ヤクルト楽天でプレーした鎌田祐哉も2012年に統一セブンイレブンライオンズでプレーして16勝を挙げて勝投王(最多勝)のタイトルを獲得。日米を渡り歩いたマック鈴木も、2007年からLa Newベアーズで2年間プレーし、クローザーとして半期優勝に貢献している。

 アジア以外ではメキシコだろう。地理的にもメジャー移籍が実現しなかった場合に多いが、2002年に佐野慈紀、2006年に藪恵壹、2009年には吉岡雄二と、日本球界で実績を残した面々がプレー。年齢的な衰えがネックとなったが、その中でも吉岡は三塁手のレギュラーとして結果を残した。そして今年は、久保康友がレオン・ブラボーズ、荒波翔がモンテレイ・サルタンズに加入。太陽の国・メキシコで白球を追っている。

 その他では、イタリアがある。元近鉄の品田操士が米独立リーグを経て2002年にボローニャに入団して10勝をマーク。西武を戦力外となったG.G.佐藤が挑戦(1年間、ボローニャでプレー)したことでも話題となった。また、ドミニカ共和国やオーストラリアなどにはNPB所属の若手選手たちがウインターリーグに参加することも珍しくなく、筒香嘉智がドミニカ共和国で自身のバッティングと野球観を磨き上げたことは多く知られている。今後も地域、文化を問わず、日本人選手たちが世界各国でプレーすれば、必然的に野球というスポーツの普及・発展につながる。「棒球」、「ベースボール」と呼び方は様々だが、その多様性こそが、野球そのものの魅力アップになるはずだ。