韓国プロ野球でもプレーした高津臣吾 (c)朝日新聞社
韓国プロ野球でもプレーした高津臣吾 (c)朝日新聞社

 現在活躍中の大谷翔平、菊池雄星、田中将大、ダルビッシュ有、前田健太、平野佳寿らだけでなく、過去には野茂英雄、イチロー、松井秀喜らを筆頭に数多くの日本人選手がメジャーリーグに挑戦し、結果を残した。だが、海を渡ったのは彼らだけではない。メジャーリーグ以外のリーグで、人知れず奮闘した男たちがいた。

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 最も身近なところで言えば、お隣の韓国である。古くは、南海、広島でリーグ優勝に貢献した福士敬章が、1983年に創設2年目の三美スーパースターズに入団し、本名の張明夫の登録名で大活躍。当時32歳の働き盛りで、同年は60試合に登板し、現在も韓国プロ野球記録である36完投&30勝(16敗6セーブ)の驚異的な成績を残した。さらに1984年には新浦壽夫が、巨人から三星ライオンズに移籍し、同チームのエースとして3年間で計54勝(20敗)をマーク。特に1985年には25勝(6敗)を挙げて最多勝にも輝いた。

 2000年代に入ると、韓国プロ野球が外国人枠を設定(それまでは元韓国国籍の外国人のみがプレー可能だった)したこともあり、2003年に入来智(ヤクルト→斗山ベアーズ)、2006年に塩谷和彦(オリックス→SKワイバーンズ)、そして2008年には日本で4度のセーブ王に輝いた高津臣吾(ヤクルト→キウム・ヒーローズ)がプレー。そして2000年代以降で最も活躍したのは 2009年に渡韓した門倉健(巨人→SKワイバーンズ)だ。計3年間プレーし、特に2年目の2010年は開幕投手を務めるとともに14勝(7敗、防御率3.22)を挙げてリーグ優勝に貢献。日本で76勝、韓国で27勝を挙げ、日韓通算100勝を達成している。

 同じく、歴史的にも馴染み深い台湾でも、多くの日本人がプレーした。まずは、渡辺久信。西武黄金期の大エースは1998年限りで現役引退を決断し、「指導者として勉強するため」に台湾・嘉南勇士に投手コーチとして入団。しかし、言葉の問題で指導する際の意思疎通に苦労し、急遽「自ら投げて教える」として現役復帰。3年間で計35勝、1年目の1999年には18勝、防御率2.34、201奪三振で投手三冠を獲得した。

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甲子園優勝投手も海外でプレー