もしも、トルシエが五輪代表を直々にマネジメントしていたら、柳沢の事件は起こらなかった可能性が高いし、小野もフィリピン戦ではスタメンから外れていたかもしれない。そうなれば最悪の事態は阻止できた未来もあったかもしれない。もちろん、トルシエと山本コーチは意思疎通を密にし、選手起用や戦術・采配を決めていたようだが、指揮官が実際に選手を見ているのと見ていないのとではやはり状況が全く異なる。そこは現在の森保監督と横内コーチにも当てはまる点。何らかのアクシデントが起きるリスクは低いとは言えないのだ。

 この20年間の代表を取り巻く環境の変化も森保監督を苦しめる要素になっている。トルシエの頃は海外クラブでプレーする選手がごくわずかで、選手招集問題に頭を悩ませる必要はほとんどなかった。国内組にしても、Jリーグの日程が今ほど過密でなかったため、毎月のように代表合宿を組むことができた。インターナショナルマッチデー(IMD)期間はA代表の活動に専念し、それ以外の時期にU−20や五輪代表の強化に注力できたからこそ、トルシエは3つのチームをマネジメントすることが可能だったのだ。

 けれども、今の時代はIMD期間に代表活動が集中している。A代表と五輪代表のスケジュールが重複するのも当たり前で、1人の監督が複数チームを掛け持ちするのは最初から困難だった。それを理解したうえで、スタッフと連携しながら底上げを図ろうとしたわけだが、五輪代表活動時に森保監督が不在という事態がこれだけ続くのは果たしてどうなのか。「トルシエ監督にやれたことを森保監督にできないはずがない」と考えるのは、あまりにも安易すぎると言っていい。

 東京五輪本番までの残り1年。強化により本腰を入れていく時期に来ている。その傍らで、A代表も今秋から2022年カタールワールドカップ予選がスタートし、12月には東アジアカップ(韓国)も控えている。スケジュールが相当タイトになる中、森保監督が2つの代表をどうマネジメントしていくのか。この問題をより真剣に考えていかなければ、両代表が揃って機能不全に陥る危険性もゼロではない。

 一方で、あまりのハードスケジュールで森保監督自身の体調面も大いに懸念される。このように兼任監督体制を成功させるためには、越えなければいけないハードルが複数ある。それをしっかりと認識したうえで、日本サッカー協会には今後1年間のスケジュールを洗い出し、指導体制を再構築するところから始めてもらいたい。(文・元川悦子)