元中日のセサル (c)朝日新聞社
元中日のセサル (c)朝日新聞社

 プロ野球の「助っ人」において、最も期待されているのは「打撃」である。日本人にはないパワー、チームに足りない長打力を、力自慢の男たちが補ってきた。だがその反面、どうしても助っ人たちの「守備」が疎かになってきた歴史がある。打撃でカバーできればまだいいが、それができなければ“悲惨”なことになる。

 平成の時代を振り返ると、1990年に大洋に在籍したジョーイ・マイヤーが思い出される。元横綱の曙を従兄弟に持つハワイ出身の助っ人は、自慢の怪力でシーズンを通して26本のアーチを放ち、打率も.275と上々の数字を残したが、巨漢が故に守備がお粗末だった。鈍足で肩も弱く、キャッチングも拙い。一塁手を務めたが、守備範囲があまりにも狭く、1年で解雇となった。

 マイヤーはまだ良かった。打撃面で貢献し、守備面も入団前からある程度、織り込み済みだったからだ。その意味で「想定外」だったのが、1997年に巨人でプレーしたルイス・デロスサントスだ。台湾リーグで首位打者に輝くなど、3年連続で打率.350超の実績を手に「台湾のイチロー」の触れ込みで来日。入団テストを経て自ら獲得に乗り出した長嶋茂雄監督は「ゴールデングラブ賞を獲っていたんです。私が言うんだから間違いありません」と守備面も高く評価していたが、蓋を開けてみれば、打撃だけでなく守備も全くの期待外れ。期待する以前に明らかな実力不足で、キャンプ中から守備難を露呈し、開幕から三塁手のレギュラーとして起用されたが、案の定、エラーを連発してシーズン途中に2軍降格。そのまま解雇となった。

「どこでも守れる」と聞いていたが、結果的に「どこも守れなかった」のが、2010年に中日でプレーしたディオニス・セサルだ。「首位打者と盗塁王を目指す」と宣言した陽気なドミニカンは、守備も「捕手以外ならどこでも守れる」と自信満々。そして荒木雅博のケガによって、開幕から「2番・セカンド」で起用された。しかし、本人のやる気とは裏腹に、失点に繋がるエラーやファンブルを繰り返すと、その後に就いたライトやセンターの守備でも、平凡なフライを落球すれば、フラフラと打球を追いかけたのちに外野フェンスに激突するなど珍プレーを連発。結局、1軍と2軍を行き来した末に、打撃面でも51試合で打率.215、1本塁打と振るわず、1年で退団となった。

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打撃面でカバーした選手は多いが…