元巨人の槙原寛己 (c)朝日新聞社
元巨人の槙原寛己 (c)朝日新聞社

 2019年シーズンが開幕して約1カ月以上が過ぎ、毎日贔屓チームの勝敗をチェックする今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「因果はめぐる小車編」だ。

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 一度はルールに救済されて継続した連続試合安打記録を、思わぬアクシデントでフイにしてしまったのが、1993年に横浜に入団したブラッグス。

 同年6月27日の中日戦(ナゴヤ)、この日まで18試合連続安打のブラッグスは、第1打席で中日の先発・津野広志から死球を受けて激昂。暴行で退場処分になってしまった。

 これにより、連続安打記録もストップしたかに思われたが(実際、そう報じた新聞もあった)、実は、死球だったことと、1回裏の守備に就く前に退場になったことで、野球規則10.23により、途切れていないことが判明する。

 思いがけずルールに救済された形のブラッグスは、7月14日のヤクルト戦(神宮)で、4打席連続凡退後、延長10回の5打席目に二塁内野安打を放ち、バナザード(南海)が記録した外国人記録「28」と肩を並べる。さらに翌15日のヤクルト戦で29試合連続安打を達成し、高橋慶彦(広島)の日本記録「33」もあと「4」と射程距離にとらえた。

 ところが、好事魔多し。前日14日の試合後、クラブハウスで誤って転倒した際に右手小指を骨折していた……。15日の試合は痛みをこらえて出場したが、翌16日になっても腫れが引かなかったため、病院でレントゲン検査を受けたところ、全治2カ月の重傷と判明。結局、シーズン終了まで欠場する羽目になり、連続安打記録も「29」でストップ……。これも暴行事件のツケが回りまわってきたということか?

 しかし、翌94年の開幕から3試合連続安打を記録し、シーズンをまたいだ参考記録「32」を残している。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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