大きな期待が集まるヤクルト・村上 (c)朝日新聞社
大きな期待が集まるヤクルト・村上 (c)朝日新聞社

 左打席に入った背番号55が外角高めのストレートにバットを振りぬくと、高々と舞い上がった打球は静まり返ったライトスタンドに消えていった──。

 平成の時代が終わり、新たな元号で迎えた5月1日の横浜スタジアム。DeNAの本拠地に乗り込んでいたヤクルトに「令和」の到来を告げる号砲を轟かせたのは、いわゆる“ミレニアム・ベビー”として生まれた男のバットだった。

 村上宗隆、19歳。この時点で今季7ホーマーは主砲・バレンティンの8本に次ぎ、山田哲人と並ぶチーム2位となった。さらに3日の中日戦(ナゴヤドーム)で8号を放つと、ホームグラウンドの神宮に戻った6日の阪神戦で9号。上半身のコンディション不良で3日に登録を抹消されたバレンティンを抜き、チーム単独トップに躍り出た。

 そのバレンティンは戦列を離れる前、村上についてこんな話をしている。

「素晴らしい選手だよ。まだ19歳だろ? 将来は間違いなくオレを超える選手になる。(シーズン)60本塁打は無理かもしれないが、打率はもちろん、パワーでもオレ以上の選手になるよ。ホームラン王も5年以内には取るはずだ」

 2011年の来日以来、3度の本塁打王に輝き、13年にはシーズン60本塁打の日本新記録を樹立したバレンティンの言葉が熱を帯びていたのも無理はない。10代にしてこれだけのアーチを放ったバッターは、ヤクルトの歴史を紐解いても見当たらないのだ。

 今をときめく看板スターの山田でも、高卒ドラフト1位で入団した11年はレギュラーシーズンでの一軍出場はなく(クライマックスシリーズでは3試合に出場)、2年目も26試合で1本塁打。3年目の13年はシーズン途中から二塁のレギュラーに定着して94試合に出場したものの、ホームランは3本だけだった。

 バレンティンは「ヤマダも入ってきた時から良い選手だったが、あの頃はレギュラーが固定されていて(一軍で)試合に出る機会がなかった。だからムラカミとは状況が違う」と言うが、当の山田は「村上のほうが全然上です。あの頃(試合に出ていたとしても)、僕は9本も打てなかったですよ。(村上は)今でも十分すぎるくらい打ってますけど、まだまだ絶対に成長するだろうし……」と、19歳の若者に舌を巻く。

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