あのですね、これ、ガチなんです。「精神年齢が幼い、いつまでも少年の心を忘れない俺」アピールでもなければ、「しっかりしてない俺」の言い訳でもなく、ガチで現状の分析として、俺、精神年齢、8歳くらいだと思うんす。

 だからお子さま方に信じて欲しいのは、「AERA dot.」をお子さまが読むことはあまりないかもしれませんが、それでもお子さま方に信じて欲しいのは、本当にこのオジサンは、君らとほぼ同じなんだよ、ということ。

「そうはいっても佐藤二朗さんは50歳なんだから、大人な部分はあるんだよな」などと思ってはいけない。ないのだ。ないのだよ。佐藤二朗に大人の部分は。メタボと老眼と白髪が増えた以外に、佐藤二朗に大人の部分はないのだよ。まるっきりダメじゃないか佐藤二朗。いま書いてて気づきましが、50という数字は「精神年齢が8歳」ということを信じてもらえなくなりそうだから、焦りがあるのかもしれません。まあ、40歳でも30歳でも「精神年齢が8歳」は信じてもらえない気はしますが、現に、こうやって、こんな50歳が、世に誕生してしまったのですよ。わはははははは。ごめんなさい。

 僕がよく一緒に仕事する福田雄一の現場が楽なのは、あ、「楽」という表現は語弊があるかな。よく一緒に仕事する相手ほど、「その芝居、前に見たよ。違うの見せて」と言われる可能性がある訳で、むしろ楽ではないのですが、なんというか、有り体にいえば、僕がわりかし「自然体」でいられる現場なのです。だって、福田も精神年齢が9歳くらいで(武士の情けで僕より1歳上にしてやった)、彼も、僕とデッドヒートを演じるくらい精神年齢が低く、なおかつ福田も50歳で、なんというか、「あ、いた。ここにもダメ大人。なら、俺、大丈夫かも、このままで」と思わせてくれる現場なのです。

「99人の壁」の企画・演出の千葉悠矢という男は、僕の半分くらいの年齢ですが、僕は精神的に完全に千葉に依存しています。千葉がいなくなったら、僕は一言も喋れません。「二朗さん、進行が分からなくなったら、『分からない』と言って大丈夫です。ありのままでいいんですよ」などと、お父さんみたいなことを言う。よほど「お父さん」と呼んでやりたいが、むしろ年齢的には僕が奴のお父さんなので、さすがにそれは遠慮しています。

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「遠慮せず、この50歳児と戯れようや」