9月18日、東京ドームでの試合、1回表1死二塁の場面で、この日まで打率は1割9分7厘ながら7本塁打を放っている3番・松井が打席に入ると、ショート・池山隆寛が二塁ベース寄りに移動し、セカンド・ハドラーが一塁方向に位置を変えた。一、二塁間を野手3人が守る“松井シフト”である。

 ベンチの野村監督の指示と思われたが、実は、池山独自の判断だった。その野村監督も「松井のあの打ち方では、三遊間に飛ぶ確率はないからね。指示じゃあないが、悪けりゃ戻しとる」と追認。若芽が伸びる前にひと叩きしておこうと、状況を見守っていた。

「池山さんが二塁に近寄っていたのは知っていましたが、意識はしなかったです」という松井は、この打席こそ四球で出塁したものの、3回の第2打席ではヒット性の当たりがハドラー正面をつき、まんまとシフト網の餌食に。第3打席は左飛、第4打席は三振に打ち取られ、3打数無安打と音無しで終わった。

 それでも長嶋茂雄監督は「1人前と認められたということです」とポジティブにとらえ、翌19日のヤクルト戦でも松井を3番で起用した。

 そして、5回に中越え先制タイムリー二塁打を放った松井は、7回にも池山の逆をついて三遊間に転がし、ついにシフト破りに成功。ベース上で「頭の勝利!」と言いたげに自身の頭をツンツンと指差すパフォーマンスを見せた。

 高卒ルーキーに1本取られた形となった野村ID野球は、この日0対8と大敗する羽目になった。

 “松井シフト”の翌年、94年には、“イチローシフト”がお目見えする。

 開幕から安打を量産し、59試合で98安打を記録したイチローは、6月25日の日本ハム戦(東京ドーム)で、プロ野球新記録の60試合での100安打(それまでの記録は南海・広瀬叔功の61試合)に挑戦した。

 初回に左越え二塁打を放ち、リーチをかけたイチローだったが、日本ハム・大沢啓二監督はショート・広瀬哲朗を二塁ベース寄りに守らせる“イチローシフト”で対抗する。

 そして、「もう1本打とうと思って打席に入りました」と記録更新を狙ったイチローは、3打席凡退後の9回の5打席目、マウンドの金石昭人の頭上を抜ける打球を放つが、ふつうなら外野に抜けてもおかしくないのに、皮肉にも広瀬の前でバウンド。シフトの餌食になったかに思われた。

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大沢監督も「あいつはプロ野球の財産や」