■中日:谷繁元信監督

 星野仙一(1987~1991年)時代に平成を迎え、その後、高木守道(1992~1995年)、星野(1996~2001年)、山田久志(2002~2003年)、そして落合博満(2004~2011年)時代の黄金期を経て、高木(2012~2013年)、谷繁元信(2014~2016年)、森繁和(2016~2018年)と続き、今季からの与田剛監督となった。

 “闘将”星野時代に計2度、落合“オレ流”時代に計4度のリーグ優勝を果たした一方、その他の監督時代は優勝できていない(第一次高木政権下では「10.8決戦」があったが……)。そしてシーズンの途中に監督の座を追われたのは谷繁監督のみ。1年目、2年目は選手兼任監督としてチームを引っ張ろうとしたが、結果は4位と5位。中日で監督就任から2年連続Bクラスは水原茂(1969年、1970年)以来45年ぶりのことで、監督専任となった3年目も低迷から抜け出せずにシーズン途中の8月9日に休養し、退任となった。捕手として類稀なリーダーシップを発揮してきた名選手だったが、監督、そして兼任監督の難しさを改めて感じることにもなった。

阪神:野村克也監督

 平成の時代到来とともに暗黒期に突入したタイガース。村山実(1988~1989年)、中村勝広(1990~1995年)、藤田平(1995~1996年)、吉田義男(1997~1998年)、野村克也(1999~2001年)と続いた後、星野仙一(2002~2003年)時代に18年ぶりのリーグ優勝を果たし、岡田彰布(2004~2008年)、真弓明信(2009~2011年)、和田豊(2012~2015年)、金本知憲(2016~2018年)、そして今季の矢野燿大監督と続く。

 そのなかでのワーストは野村時代としたい。その後の優勝チームの礎を築いたという評価はあるが、就任時に「ヤクルトの監督になった時より、今の阪神の方が力がある」と語りながらも、監督3年間の順位は3年連続の最下位。中村監督も2年連続での最下位スタートとなったが3年目に2位となっており、1年強のみで解任された藤田監督を除いて3年連続の最下位は野村監督のみという結果になった。フロントの問題点を露わにし、その改善に力を尽くしたが、肝心の選手との間には大きな溝が生まれ、チームはバラバラの状態だった。最終的には沙知代夫人が脱税容疑で逮捕されたことを理由に辞任。「阪神の監督は難しい」と吐露。トップが変わってもチームは変わらなかった。