実際のところ、マイケルは恵まれない子どもたちへ何よりも大切な教育支援に本当に熱心で、87年に来日した折には多額の寄付を各所にしていた。

「マイケルは来日前に日本ユネスコ協会に連絡して協力を申し出てステージ衣装などをオークションに出し、さらにマイケルの肖像入りゴールドメダルの製造を許可して両方の売り上げを加え3,000万円あまりを全て日本ユネスコ協会に寄付したそうです。日本ユネスコ協会はその資金を元に『ユネスコ世界寺子屋運動』という、世界の子どもたちに学ぶ機会を与えるための基金を作って今に続き、世界で124万人に学ぶ機会を提供しています。

 当時日本ユネスコの事務局長だった方が「何故ユネスコに寄付してくださるのですか」と問うと、マイケルは「僕自身、子どもの頃に音楽の仕事があり学校に行けなかった。だから教育を受ける機会の無い子供たちのことがとても気になります。どうか、彼らの為に役立てて下さい。そしてユネスコの支援活動は一過性のgiftではありません、共に歩んで行くCo-oprative Actionで、それに僕は共感しています」と答えたそうです。

「それでは!」と、寺子屋運動に「マイケル・ファンドと名付けさせてください」とユネスコ側が申し出ると、マイケルは断ったとか。売名行為と取られるのを嫌がったんですが、上から目線で恵んでやるのではなく、共に歩もうとする姿勢がマイケルらしいですね。

 またこれとは別に、女優の宮城まり子さんが代表を務める児童養護施設「ねむの木学園」への寄付もしています。こちらはマイケルから私に寄付をすべき日本の団体を選んで欲しいと頼まれ、紹介したものです。「ねむの木学園」ではその後、天皇皇后両陛下がご訪問された折にマイケルの歌を子どもたちが歌ったりして、マイケルへの感謝を表しています。これらのことは公表を控えて欲しいというのがマイケルの意向だったので、僕も今まで人に話したことが殆どなかったため、報道されることもありませんでした」(田中さん)

 日頃喧伝されるマイケル像とは違う姿をすぐ側で見ていた田中さん、清水さん。2人の証言は後編「マイケル・ジャクソン バブルスと日本で過ごした最愛の日々」へ続く。(文/和田静香)

■和田静香(わだ・しずか)/1965年、千葉県生まれ。音楽評論家・作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦が高じて最近は相撲についても書く。著書に『スー女のみかた 相撲ってなんて面白い!』『東京ロック・バー物語』など。自身が主催する「21世紀の相撲絵師たち展」を5月3日~12日(7,8日は休み)、「フリースペース緑壱」(東京・両国)で開催。