なるほど、「マイケルは子どもが好き」という噂は、87年当時すでによく知られていたことが分かる。このときの来日公演は「日本テレビ」の主催だったが、その交渉をした伝説のTVマン白井荘也さんが書いた「マイケル・ジャクソン来日秘話」(DU BOOKS/2017年)を読むと、日本テレビが主催したパーティーにも、ミュージカル「アニー」に当時出演していた子どもたちが参加して「トゥモロウ」を歌ってマイケルを迎えたとある。マイケルは「ニコニコと入場」したそうだ。ちなみに初代アニー役は現在の衆議院議員・山尾しおりさん。マイケルの隣に立つ彼女の姿は同書に収められている。

 しかし、マイケルは本当に子どもが好きで、自ら周囲に子どもたちをはべらせたい人だったんだろうか? これらパーティーでは噂から周囲が気遣って子どもたちを呼んでいて、決してマイケル側から「パーティーに子どもを呼んで下さい」と頼んだわけではない。

「マイケルは子どもだけが好きというより、どちらかというと大人を信用できなかったといった方がいいんではないでしょうか。自分と同じような年齢の、もしくはもっと上の大人たちは皆お金目当てであったり、誰かの差し金であったり、何か仕事を頼みたいとか利害関係で近づいてくるに決まっていると、マイケルは常に警戒心を抱いていたと思います。来日したのは『スリラー』が大ヒットして、続くアルバム『バッド』が発表された頃です。最も難しい時期と言えるでしょう。『スリラー』の爆発的ヒットであらゆる人が手のひら返し、誰も信じられない!と思っていたのは想像するに容易です」

 そう語るのは、当時「EPIC・ソニー」でマイケルを担当するA&Rだった清水彰彦さん。見知らぬ大人などとは会いたくない、話をしたくない、心を開かない、それが当時のマイケルだったんじゃないか?という。

「そのためにマイケル側のスタッフは、フランク・ディレオというマネージャーだけでした。ビジネスはフランクが担当し、ボディガードが1人と、弁護士は別にもう一人いましたが、音楽面のクリエイティヴなことはマイケルが全部やるんです。バンドにはグレッグ・フィリンゲインズというキーボード奏者がいて、彼がバンマス(バンドマスター)で細かいところはやるけど、普通は複数人いるアシスタント・ディレクターみたいな人や取り巻き的な人は誰もいない。ステージでのアレンジの変更や何時までにリハしてとか、そういうことを全部マイケル本人が決めるんです。スタジアム規模のツアーでそんなことしてる人、他に誰もいません。

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誰も信用できなかった