もし、サバンナでインパラがチーターに襲われ逃げられなかったとしたら、その土壇場でフリーズ(凍りつき)が起こる。インパラは地面に倒れこむ。それは、死んだふりをしているように見えるかもしれない。しかし実際には変性意識状態に入り、痛覚や知覚などの全ての感覚を下げ、チーターの鋭い歯や爪で引き裂かれている間、苦しまずにすむようにしているのだ。

 この文章を読んだとき、野生動物は噛まれているときも痛そうな顔をしないと聞くが、こういうことが起こっているのかと感じた。

 怖い気持ちが強すぎて、当時の私は抵抗することもできず凍りついていた。

 その恐怖のエネルギーと痛みは私の身体にずっと残っている。

 私はもう安全な場所にいるのに、被害のことを思い出したり考えたりするだけであのころに引き戻されて、息ができなくなったり、泣きそうになったり、体が震えだしたり、気分が悪くなったりする。

 それは日常生活全般に及んでいて、性被害のニュースに触れたり、父と同じような体格や年齢、言動をする男性に接したりすることで心臓が喉元にせりあがってくるような気持ちになり、動悸や息切れに襲われることがよく起こった。

 それでも、性被害のニュースなどには注目せずにはいられない強い引力を感じることもある。そうやって引きつけられてはダメージを受ける。その繰り返しだった。

 だからこそ、普段は考えないように感じないようにし、男性にもなるべく近づかないようにして過ごしていた。それでも、症状は漏れ出てくる。

■「私」をなくした私

 被害を受けている間は、戦場にいるようなものだと思う。どうすれば逃れられるのか、これ以上ダメージを受けないためにはどうすればいいのか。

 体は硬直し思考はすごい勢いで回転するけれど、空転しているだけでどうにもならない。頭では動かなければと思うけれど、筋肉は強張り、夢の中にいるように身体は思い通りにならない。心臓は早鐘のように打ち出し、呼吸は浅いのに拍動が2倍にも3倍にも大きく感じられる。

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私がなくしてしまったのは…