3度目の国民栄誉賞辞退をしたイチロー (c)朝日新聞社
3度目の国民栄誉賞辞退をしたイチロー (c)朝日新聞社

 先月21日、母国日本(東京ドーム)で開催されたメジャーリーグ開幕戦をもって現役から退いたイチロー。アメリカでの活躍はもちろんのこと、プロ野球、そしてWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の活躍などで幾度となく日本人の心を熱くした。そのイチローに“自身3度目”となる国民栄誉賞が打診されたが、これを再び固辞した。

【写真】イチローが「本当の天才」と言った男とは?

 昨年7月には、平昌冬季オリンピックのフィギュアスケート男子で連覇を果たした羽生結弦に授与された国民栄誉賞だが、その性格はいまいち掴みにくい部分も多い。そこで今回は、過去の事例をアスリートに絞って振り返ってみたいと思う。

 国民栄誉賞は1977年8月30日に創設。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者について、その栄誉を称えることを目的として設立」されたものというところがポイントだ。単に知名度が高いだけでは受賞できず、国民を大いに沸かせ、ポジティブに盛り上げた人物でなくてはならない。つまり“国民的ヒーロー”でなくてはならないのだ。

 これまで同賞を受賞したのは27人。そのうちスポーツ界からは11人と1団体が受賞している。

 まず王貞治氏が1977年9月で第1号。『世界大百科事典』(小学館)によると受賞理由は「ホームラン新記録達成の功」だ。1984年10月には山下泰裕氏が「柔道における真摯な精進、前人未到の記録達成の功」で国民栄誉賞に輝いている。

 野球界での受賞第2号は衣笠祥雄氏(1987年6月)。受賞理由は「野球における真摯な精進、前人未到の記録達成の功」。1989年9月に受賞した秋元貢氏(元横綱千代の富士)も、その理由は「真摯な精進、相撲界への著しい貢献の功」となっており、それぞれの分野で一時代を築いたことが高く評価された。

 次にスポーツ界から受賞者が出たのが2000年10月の“Qちゃん”こと高橋尚子氏。「2000年シドニー五輪女子マラソンで優勝。陸上競技で日本女子選手初の金メダルを獲得し、国民に深い感動と勇気を与えた功」である。

次のページ
近年目立つアスリートの受賞