ところが、94年7月26日の阪神戦では、元木の隠し球を好アシストしている桑田も、この日は苦しい投球で付き合う余裕がない。待機中にうっかりプレートを踏み、なんと、ボークを宣告されてしまった……。

 この失敗に懲りることなく、元木は同年8月25日の横浜戦(東京ドーム)でも隠し球作戦を展開する。

 1点を追う横浜は9回無死二塁、石井琢朗が三塁前にセーフティバントを試みた。無警戒の虚をつかれた元木がダッシュして捕球したものの、一、三塁のどちらも間に合わない。

 送球をあきらめた元木はマウンドへ向かい、槙原寛己にグラブごしにボールを渡したように見えたが、実は、ボールを隠し持ったまま、三塁に戻る。そして、三塁走者・井上純が離塁する瞬間を待った。この間、槙原も咳き込んだりして、なかなか投球動作に入ろうとせず、全面協力。しかし、演技が不自然だったため、相手にバレてしまい、「早くボールを(投手に)返せ」とツッコまれてしまう。

 だが、ここから試合の流れは一気に変わる。一打逆転のピンチに開き直った槙原は、無死二、三塁から中軸を3者連続三振で鮮やかな1点差逃げ切り勝ち。隠し球は失敗したが、期せずしてこんな結末を呼び込むのも、曲者の悪運の強さか?

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2018」上・下巻(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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