「鉄壁の外野陣」を形成したイチロー (c)朝日新聞社
「鉄壁の外野陣」を形成したイチロー (c)朝日新聞社

 平成最後の年、マリナーズのイチローが日米28年の現役生活に終止符を打った。稀代のヒットメーカーとしてだけでなく、レーザービームを武器とした外野守備でも大いにファンを沸かせたことは、もはや語るまでもない。

 そのイチローがまだ日本にいた頃、田口壮、本西厚博と「鉄壁の外野陣」を形成したこともオリックスファンは思い出す。登録名を変更して大ブレークを果たしたイチローと、外野手転向で不動のレギュラーとなった田口、そしてベテランとして彼らに守備面を指導した本西の3人による堅守、強肩ぶりは、当時のグリーンスタジアム神戸の大見世物だった。

 チームが1995年、96年とリーグ連覇を果たし、97年からは谷佳知が外野のレギュラーに加わった中、ゴールデングラブ賞をイチローが7回(1994年〜2000年)、田口が5回 (1995年〜1997年、2000年、2001年)受賞。エンターテイメント性に富んだ、まさに鉄壁の守備だった。

 その彼らよりも前に「最強外野手トリオ」と謳われたのが、1980年後半から1990年代前半に黄金期を築いた西武の外野陣、「秋山幸二、平野謙、羽生田忠克」の3人だった。

 俊足強肩を生かすために1987年に三塁手から外野手に転向した秋山は、日本人離れした抜群の身体能力を生かした華麗な守備で、10年連続を含む歴代2位タイの計11回 (1987年〜1996年、1999年)のゴールデングラブ賞を受賞。そして右翼手を務めた平野もゴールデングラブ賞9回(1982年、1985年、1986年、1988年〜1993年)の名手で、シーズン最多補殺を5度も記録。さらに羽生田は外野からのダイレクト返球で「球界一の鉄砲肩」の異名を取り、この3人が同時に出場した際の西武外野陣は全く隙がなかった。

 2000年代ではまず、中日の「福留孝介、アレックス、英智」の鉄壁トリオを思い出す。落合博満監督が就任1年目でリーグ優勝した2004年、右翼・福留、中堅・アレックス、左翼・英智の3人が広いナゴヤドームを縦横無尽に走り、メジャー級の守備を見せたアレックスと、圧倒的な強肩で幾度となく走者を刺した英智の2人がゴールデングラブ賞を受賞。福留も中日時代に4度(2002年、2003年、2005年、2006年)受賞した名手として鳴らした。

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